野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二部 第四章 二2 感情と身体感覚に気づく

 真田さんは個人指導を受けるようになってから、「私のそれまでの「自己認識」は、金井先生の一言によってコペルニクス的に転回した。いや、それは、元来私の内にあったものが、パンドラの箱が開かれた時の様に、あふれ出てきたかのような体験である。」と述べている。

 真田さんは中学生時代、キューバ革命の立役者チェ=ゲバラカストロに憧れ、革命家を夢見ていた時があり、大学時代にも学生運動に関わったことがある。

 しかし実際に参加してみると、幼稚で感情的な運動や組織の在り方に違和感があり、そこに自分を賭けるというほどの気にはなれなかったので、「社会を変革したい」という若者らしい情熱は不完全燃焼のまま社会人になった。

 真田さんはそのまま40代後半になったのだが、個人指導を受け始めて、中高生時代にサッカーやラグビー自転車競技に打ち込んでいた頃が甦ってきたようだった。

 そして真田さんは、真に人を育てるための教育を行う場を創り出すことで、将来の日本社会に大きな変革をもたらすという志を持ち、そのための闘士であろうと決意するようになったのだった。

 2007年4月初め、真田さんが打ち出す新しい体制に反発する職員が、職員研修で「以前に提案したことを経営陣が反故にした」と不信を表明した。

この職員は「これでは何のために働いているのかわからない」と訴えたが、真田さんは「これほど長く勤めていて、何のために働いているのかもわからないのであれば、お辞めになったらどうですか。」と応じ、職員が狼狽して泣き出すという出来事があった。

 この時を境に、真田さんは組織再編、人事などに権限を行使して改革を進めた。私の打ち出したことがすべてうまくいったわけではなく、その都度悩み、あれこれ考えては道筋を見失うこともあった。自分の判断は正しかったのかと自信が揺らぐこともあった。真田さんはこうした毎日が続く中、個人指導に通った。

 そんなある時、金井先生に「最近、ずいぶんと食べすぎの傾向がありましたね」と聞かれたことがあった。真田さんは最初、意表を突かれたように感じたが、ああそうだと気づいて「確かにそうでした」と答えた。すると先生は「では、何かがうまくいかず不安なことがあったということですね」と言った。

 真田さんは、まだ職場での状況を話していないのにと驚いたが、「その通りです」と答えると、先生は

「あなたには合理的な道筋が見えない時、つまり算段、段取りが立たない時、不安になる五種体癖があるのです(五種は普段、段取り上手だが、その裏返し)。そのように不安になった時、不安を解消し身体の緊張を弛めようとして、たくさん食べてしまうのです。」

と言った。

 このように真田さんは自分の無意識的な行動を指摘され、「確かにそうだ」と納得した。この指導で、算段が立たないことによる不安と食べ過ぎの関係を初めて知ったが、自分の無意識的な状態を意識で理解することの意味を知ることができた。

(金井)

 真田さんは上腹部が丸く、実は三種もあります。三種は何かあると食べることで(ストレスによる緊張を)調節するのです。

第二部 第四章 二1②〔身体〕を通して基本的な自己認識が始まる

 この指導の数日後、所属する団体の副理事長が急逝してしまった。この理事は長い間お世話になった人で、真田さんを支持してくれる人でもあった。そして亡くなった日の同日、真田さんは役員会で後任の副理事長に選ばれたのだった。

 ただでさえ崖っぷちの状況だったのに、さらなる重責を担うことになったが、真田さんの中には「さらに突き進もう」という意欲がわいてきた。火事場の馬鹿力のような、潜在していた力が湧き上がってくるような感覚だった。

 真田さんは、最初に長い間翻弄されてきたAという部下(職員)の問題に着手した。Aは周囲の職員と絶えずトラブルを起こしていたが、決着させることができないまま何年も過ぎてしまっていたのだった。

 こうして、真田さんはラガータイプだと言う金井先生の言葉がしっくりと腑に落ちてきた。そして、Aの問題も、突進することでトライできるような気がした。

 真田さんは、そもそもAに毅然とした態度で対することができなかったのは、「何事も冷静に受け止め、冷静に判断する、誰をも批判しない」という自分のイメージが崩れてしまうという恐れからだったことに気づいた。

 本当は、心の中に理性的に捉えた「あるべき自分」と、Aに真正面からぶつかっていきたい!という要求との葛藤があったのだ。この葛藤が潜在していることで自分の中が混乱し、引きこもりに近い状況になるまで苦しむことになってしまったのだと思った。

 まるで泳げない人が、水中で力んでしまい、あがけばあがくほど沈んでいく状況のようだった。しかし、真の自分の姿を知ると、体から力が抜け、水と一体になり、行きたい方向に泳いでいくことができる、という気持ちになれるのだ。

 結局、Aの問題というより真田さんの内の問題で、理性と野性の対立に終止符を打つときが来たのだった。

 これは、自身の内界(理性―野性)と、外界(自分―A)はつながっており、共時的にものごとが進むことの意味を学ぶ始まりだった。

 こうして真田さんは自身をより主体的に捉えられるようになり、金井先生の「あなたは、そういう〔身体〕ですよ」という言葉を信じ、「ラグビーのようにやってみよう」と心を決めた。

 Aは他者に責任を転嫁してトラブルを繰り返していたが、真田さんはAに真っ向から対峙し、妥協することなくA自身の問題を指摘した。その結果、Aはその年の三月末から休職することになった。2005年4月に管理職就任して以来、真田さんはAの問題に関わっていたが、決着に至るまでに丸二年が経っていた。

第二部 第四章 二 「自分を知る智」が啓く真の主体性― 自己認識の歩み 2007年~1①

 今日から第四章二に入ります。ここから、真田さんの自分を理解するとは?感情の滞りとは?こうした健康に生きることと心の問題の関係についての学びが本格的に始まります。

1① 熱海での整体(個人)指導の開始

 職場でのストレス状況が深刻化する中、真田さんは2006年12月に初めて金井先生の個人指導を受けることになった。

 真田さんがこれを決めたのは「身体感覚を養成し、生命力の発揚を通して人として十全に生きたい」という思いだった。真田さんは理性的・論理的な人であったが、そういう自分に留まることなく「生命を持った人間として、活き活きとダイナミック(動的)に生きることを目指したい」という願いがあったのだ。しかし、「この状況から何とか抜け出したい」という藁にもすがる思いが本音であったとも言う。

 初めての個人指導で、真田さんは「大きな癒し、神の手に触れられたような癒し」を感じ、「心の揺らぎが治まり、凪(なぎ)を実感」したと言う。

 それは言葉で表現しつくせないほどの大きな体験であり、帰宅後、久しぶりに熟睡できた。

 年が明け、2007年初めに再び金井先生の個人指導を受けた。この指導で金井先生は真田さんに「あなたは本来武士のような人間であるはず」と言い、真田さんはかなり驚いた。そして先生は「スポーツで言えば野球やアメリカンフットボールではなく、ラグビータイプの突進型」と言った。

 真田さんは若い時、確かにラグビーが大好きで得意でもあり、野球はバッティングの順番を待つ時間がうっとうしく、面白くないと思っていたことを思い出した。

 なぜ先生はそのようなことが分かるのだろう、と不思議だったが、先生は「あなたは、そういう〔身体〕ですよ」と言った。

 その答えの意味はよく分からなかったけれど、そう言われると自分の中から元気が湧いてくる。それが自分なら、とにかく突進してみよう、と思い始めた。

 高校時代、ラグビーをやっていた時、真田さんはタックルをかわすのではなく、振り切って突っ走り、トライするのが一番快感だった。そして、当時、ラグビーやサッカーをやる時は「素」の自分を出すことができたが、普段は角が立たないよう、目立たないようにするのが安全だと思っていたのだと思った。

(金井)

 真田さんは、合理的な能力を有する五種がありますが、「負けまい」とする八種もあります。全体を感得する(「気」で観る)と「突進型」なのです。

第二部 第四章 一3 「私」の全体性を捉えることと「感情」

3 整体(個人)指導での臨床心理により「自分を知る(理解する)」とは

 河合氏は1で引用した文章に続いて、科学の時代だからこそ起きている人間の心の問題について、次のように述べています(ブログ用改行あり)。

3「私」の科学

…これまで述べてきた「自然科学」は、「私」を他と切り離すこと(物心二元論)によって成立した学である。それは豊富な知を提供し、それによって既に述べたように自然を支配する。

 しかし、私が「私」を支配し、あるいは理解しようとするとき、自然科学の知はもともと成立過程から考えても、役に立つものでないことがわかるであろう。…私が私をも入れこんだ知をもちたいと思うとき、それは自然科学ではない。

 現代人の不安の原因のひとつは、誰もが「私」を入れこんだ「私」の理解に困ってしまっているからではなかろうか。これに対して応えようとしたのが、深層心理学である、と筆者は考えている。フロイトにしろ、ユングにしろ、自ら心の病いを悩み、その治癒のための自己分析を基盤として、彼らの理論を作りあげてきたのである。

 フロイトフロイトをどう理解したか、ユングユングをどう理解したか。彼らはそれをある程度普遍性のある言葉で語ることができ、それをある程度体系化することができたので、他の人たちが「私」の理解を試みるときに、大いに参考にすることができるようになった。

 しかし、ここで大切なことは、それは自然科学の体系のように、誰にでも「適用」できるものではない。

…今世紀における自然科学のあまりに急激な発達のために、人間は自然を支配することに熱心になり、時には、自分をさえ支配できそうな錯覚に陥りかけたが、「私」というものはそのような自然科学の法則に従わぬところを持っており、私という存在の全体性を把握する一助として、深層心理学が必要であると述べているのである。

 ここで大切なことは、「私」という存在は、現在私が知っている以上の存在であり、未知の部分を多くもっている、ということである。従って、それの探索は、それまで生きて来なかった可能性を見出したり、それを生きたりすることにつながってくる。

 そのような「生きる体験」と無関係に、深層心理学の知を語ることはナンセンスである(体験主義)。それは「私」という存在抜きに語ることができないのである。

「私という存在」が理性的意識で捉えられる範囲となり、感情や身体感覚が無意識化(身体意識が衰退)し、身体を忘れているのが現代です(科学は理性至上主義であることから)。

 科学的な現代人の「理性的(考える)意識」に隠れている「身体的(感じる)意識」を自覚することが自分を開く鍵なのです。

 この「身体意識(=何を感じているか)」には、「潜在意識」と、そして体癖が関わっているのです。

 潜在意識は成育歴によるもので、体癖的な「感受性」は、生まれ持った身体からもたらされます。

 潜在意識や体癖を探究することは、現代の学問分野では深層心理学的なもので、個人指導での臨床心理は、潜在意識(身体)に滞った「感情」を取り扱うものです。

 また河合氏は、「感情」とたましいとのつながりについて、次のように述べています(『ユング心理療法』第二章)。

個を超えて

…人間の心の深層にいたろうとするものは、必ずこの押しこまれた感情の貯留地帯につきあたることになる。人間の自我をその深みにつなぐ、つなぎ目のところに感情のかたまりがあり、それが凝固していればしているだけ、自我はたましいと切れた存在となってしまう。

このような事情から、心理療法においては人間の感情ということが非常に大切となった。

 

第二部 第四章 一2 科学には「自分のことを考える智」はない

 河合隼雄は『宗教と科学』の中で、「心の病は主観の病であり、深層心理学は主観を対象とする科学」と言っています。しかし、多くのおとなは「客観的な自分」=自分だと思っていて、自分が主観的だとはあまり思っていません。

 しかし、本人が思っている「客観的な自分」の意見や考えというのは、多くの場合「主観(感覚・感情)に無意識的に支配された意見や考え」であり、さもなければそれは「他人の(または科学的な)考えや意見」なのです。

 そういうわけで、主観の歪み、バイアス(偏り)に気づく=自分のことを考えるというのはなかなか難しいのですが、河合隼雄はその理由として理性の発達と科学の影響を挙げました。それが今回の引用文の内容です。この部分を読むと、私が音読し初めて金井先生と一緒に読んだ時に見た、先生の深く感じ入っている顔が今も思い出されます。

2 科学には「自分のことを考える智」はない

 ユング心理学深層心理学)を日本に普及させた河合隼雄氏(臨床心理学者)は、近代以後発達した、科学的観察を行う主体としての「近代自我(理性)」について、次のように述べています(『宗教と科学』Ⅱ いま「心」とは)。

2 心と自然

 自然科学による自然の支配の強さは拡大されて、西洋の文化は全世界を支配するほどになったと言っていいであろう。

…近代自我はすべてのものを支配するほどの強力さを誇るようになったが、そこには大きい落とし穴があった。それは自と他を明確に区別し、他を観察することによって出来あがってきたものなので、そのシステムには「自」というもの、あるいは、自分の心(主観(感覚・感情))というものは除外されている。実際に、それが除外されているからこそどこでも誰にでも通用する法則を見出したのだが、それでは、そのシステムによって、自分の心のことをどう考えるか、という場合にそれは答をもっていないのである。

 第一部第三章(二 1)で、湯浅泰雄氏の「生命の目的とか意味や価値について問うことは科学の任務ではない」という言葉を紹介しました。この「生命の目的とか意味や価値について問う」ことが、「自分が生きることについて考える」ことであり、そうすることで自分とは何かが深まって行くのです。科学にはこのような問いはないわけですから、この一点だけでも、科学には「自分のことを考える智」はないのです。

 さらに、科学の発達により客観的思考が人々を無意識に支配するようになった結果、「自分の心」である「主観(感覚・感情)」というものが分からなくなってしまったのです。

 それで自身の内において、理性と感情の分離(=自我と自己(魂)との分離)が起きているのです。科学的社会を生きる上で必要な自我意識・理性のはたらきは、同時に自身の主観(感覚と感情)を切り離し、欲求をも抑えるはたらきとなるのです。

 教育の場では「感情」は良くないものと扱われ、大学では、意見を述べる場において、「…と思います(感情)」は駄目、「感じます(感覚)」は論外とされ、主観の発達が望めないのが科学的教育です。

 同じく第一部第三章(三 3)で、「デカルトは、理性によって、自分の「心」を捉えることができると考えました。」と述べましたが、このような近代合理主義哲学の問題点に対して起って来たのが、フロイトに始まる深層心理学です。

 理性的思考とは客観的思考と言い換えることができますが、近代自我とは客観によって成立しており、主観が排除されたものなのです(デカルトの言う心(理性)と河合氏が述べている心との相違に注意)。

 傍線部の内容は、鈴木大拙氏の「真の自己を把握したいと念願するのならば、この科学が追求する方向をいっぺんヒックリ返さなければならぬ。……〝自己知とは主と客とが一体になって初めて可能なのだ〟…。(第三部第二章二 5)」を参照再読すると理解が深まると思います。

 整体指導者が身体に触れること、それは、手で心に(直接)触れることであり、個人指導での臨床心理は、「身体そのものである心(潜在意識)」にアプローチすることに特質があります。

 個人指導における臨床心理による智と、活元運動、そして正坐(また椅坐)や歩行時における「型」の把握、これら身体行により「主体的自己把持」へと進むことが整体指導の目的です。

第四章「主体的自己把持」を目標とする整体指導― 真田興仁の体験談 後編 一「自分を知る智」とは1

 今回から第四章一に入ります。

 一は金井先生による内容で、この中に使われている真田氏の文章のみそのまま掲載することにしました。

 一ではユング派分析家の故・河合隼雄の引用が取り上げられていますが、ユングは意識の重要なはたらきの一つとして、「反省能力」を挙げています。ここで言う反省というのは、自分のことを良いとか悪いとかジャッジしたり、自分を責めたり後悔したり、ということではありません。「なぜそうするのか、なぜそうなってしまうのか」と自分に問うことです。いろいろもっともらしい理由を考えるのをやめて、自分が何かに動かされていることを受け入れて、その「知らない自分」に向き合うということです。

 それを「情動」を通じて行うというのが、金井先生の個人指導でした。

一「自分を知る智」とは

1 理性では支配できない人間の身心

 第三章では、科学的思考が発達しスポーツが得意であった真田興仁氏が、活元運動に初めて取り組んだ時の体験談を紹介しました。

彼は、活元運動を学び始めた当時の「身体性」から捉えた自分と職場の状況について、次のように述べています(第三章二 1の続き)。

 しかし、それでも活元運動を行うために感じた、身体の不自由さは、職場で向き合う多くの人々に対する自身の不自由さと重なった。管理職として、思うように人を動かすことの出来ない、自身に対する歯がゆさ、不自由さと重なったのである。

 そんな中で、活元運動の際に、理屈(前後左右バランス良く…)や他人の見本によって身体を動かそうとすると苦しく、それを諦めると、身体が気持ちよく動くということが、何を意味するかということを考えるようになった。日々生きていく上で感じる、「思うように事が進まないという不自由さ」を解決するための示唆になるのではないかと思う毎日であった。

 しかし思いあぐねるばかりで、仕事上での自身の混乱はさらに激化し、やることなすことが裏目に出て、とうとう「引きこもり」に近い状況になってしまった。

 あがけばあがくほど、事態が悪化し、自分の思いが裏切られる結果に疲れ果てた。全身を鎖で縛られ、身動きが取れなくなったような心境で、自分の裡に逃避する以外の術がなくなってしまった(二 1に続く)。

 真田さんは頭(理性による意思)の力で人を動かし、物事を解決しようと努力してきたのですが、それでは問題を解決できず、かえって深刻化してしまいました。この姿勢が活元運動をする時にも反映していたのです。

 彼は体験談 前編(第三章二 1)で、活元運動の準備運動は「あたかも、自分(意識)と身体(無意識)が別なところにあるという感覚だった」と述べています。このような、彼の「意識と無意識の不統合」が、「職場の世界」に共時的に表れ、「身体の不自由さは、職場で向き合う多くの人々に対する自身の不自由さ」となっていました。

 自分を修める力が人を治める力となるのです(頭では人の心は動かない)。

第二部 第三章 二4 意識(頭)を基礎とした西洋近代のスポーツと無意識(背骨)を基礎とした野口整体の体育

 今回の内容には、野口晴哉の古い文章が引用されています。本文は旧仮名遣いですが、ブログ用として現代仮名遣いに改めました。文中の( )は金井先生が入れました。

 戦前の学校では体育よりも「体練」という言葉が使われ、教練、体操、武道の三分野がありました。1925年(第一次大戦後)からは陸軍現役将校を旧制中学校以上の学校に配属し、教育の場で軍事教練が行われていたのです。

 教練では、軍国主義的な思想教育と射撃など武器の使い方や戦史などを教え、演習も行ったようです。こうした軍事教練も近代的な身体観に基づく身体訓練でした。

 こうした事情で、戦前は一斉に体を鍛える(強い体を作る)こと、一斉に同じ動きを身につける(他人と違った動きをしてはいけない)ことが目的となっていました。スポーツが体育の中心になっていったのは戦後のことです。

 しかし、基本的な心身観は同じであり、教育によって戦前、戦後に亘って日本人の身体を近代的に作り変えていったということを押さえておいてください。

4 意識(頭)を基礎とした西洋近代のスポーツと無意識(背骨)を基礎とした野口整体の体育

 近代化、とりわけ敗戦(1945年)後の科学(理性)至上主義教育の影響を受けている現代の日本人は、いつしか心身が「二元化」しているのです(心身二元論では、身体に「意識(心)」はない)。

 2(前回)の引用文「本来の体育」(1969年の講座)に先立つ約四十年前、師野口晴哉は次のような文章を記しています(『野口晴哉著作全集 第一巻』1930~1931年)。

 意識は総てではない。従って意識を基礎として組織した現代の体育的運動は、悉くその出発点に於て誤っている。意識を基礎としている結果、随意筋、不随意筋の区別を生じ、総ての体育的運動は皆随意筋の運動にのみ片寄って終った。而して随意筋は発達したが、之(生命)を養うの力に乏しいという結果を齎らした。

 又意識に捉われた結果は、生の要求する運動の適度を無視して、万人に同一の形式を強い、又人体の中心を忘れて胸に重きを置き、腹を忘れ、胸を主体とせる形式にのみ走っている。之が為、その目的に背馳して(反して)却って害を心身に与うるの悲しむべき滑稽を演じつつある。

 意識を基礎としての運動は、動物性神経(体性神経)を過敏ならしめ、植物性神経(自律神経)を弛緩もしくは過敏に導くの結果、意識のみ過敏に働き、感情は麻痺して活動鈍く、一般に思想が唯物的に傾き、延いては国家国民の行詰りを招来するに至る。

 自分自らが努力して自分を狭い意識の世界に追込み、徒(いたずら)に苦悩に呻吟しているが如き状態にある。思想善導の声高しと雖も、心の働く道は神経系なれば、神経能力を正しくせねば、心が正しく働く道理なし。思想の悪化も心身の病弱も、故なきに非ずである。予は声を大にして、体育改造を高唱し、世人の覚醒を促さんとするものである。

 予の主張する体育は、人体放射能(気)を基礎として行う運動によるもので、意識と形式を離れて、各自に適応するだけの運動(活元運動)を為し、呼吸と心との調和を図り、腹腰の力の一致せる処(丹田)に人体の中心を認める。而して完全なる心身を得んとする。

 随意筋、不随意筋の区別もなければ、神経系の発達に違和不調を来すことなく、真の彊心健体を獲得し、自然健康を完全に保持して、茲(ここ)に全生の実をあげることが出来るのである。

 師はすでに1930年という時代(昭和五年)、このように「意識と随意筋」による西洋的運動(スポーツ)を批判していました。

 西洋近代において、デカルトの近代合理主義哲学「心身二元論」により、理性が人間の精神(心)とされ、理性という意識(近代自我)の確立とともに「近代科学」が発達したのです。

(これは、古代ギリシアに始まった理性という意識が、近代以後とりわけ、身体から離れて発達したことを意味する)

こうして、近代科学においては「意識が総て」となりました。

 このようなことは、日本では江戸時代まで、全くなかったのです(日本は幕末・明治維新以来、西洋近代の影響を強く受けて来たが、とりわけ、敗戦後は理性至上主義が顕著となった)。

「意識と形式を離れて、各自に適応するだけの運動」が活元運動です。ここには「随意筋、不随意筋の区別」はないのです。

 意識は、理性「合理的な能力」と随意筋。無意識は、感性「心情の能力」と不随意筋、という関係があります(無意識を無視すると思想が悪化する理由がここにある)。