野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

金井先生の「野生の思考」2

こうも頭で生きる人が多くなってしまった

 金井先生は2006年から、「近代科学と東洋宗教」、「科学の知・禅の知」という、思想基盤の枠組みの違いから「野口整体とは何か」を説き起こす仕事に取り組みました。

 その理由について、金井先生は『「気」の身心一元論』(2011年静岡学術出版)で次のように述べています。

・・・初出版後、個人指導に通う人の中から、野口整体を学びたいという人が増え、二〇〇五年秋より後継者養成のため「整体指導法講習会」を始めましたが(少人数ながら一九九三年より整体操練成会として行ってきていました)、野口整体の世界を伝えていく上での難しさを、改めて感じてきた六年間でした。

 そして、野口整体を「体の感覚で理解する」には、塾生たちとの間に大きな隔たりがあることを、さらに強く感じるようになりました。

・・・この日本における、東洋宗教的伝統の喪失と近代科学的教育によって生じた、若者世代との「隔たり」を埋めるべく、現代人に「訴えることのできる」表現とは何かを、当会の講習会を通じて深く考えるようになりました。(傍点略)

 ここでいう若者世代とは、今の10代~20代のことではなく、1948年(昭和23年)生れの先生から見た人たち、大きくいって1960年代以降に生れた人のことです。

 これは、一言で言うならば、現代人は野口整体で意味する「心」というものがわからなくなっている、という問題であるということができます。

 これは塾生のみならず、個人指導を求める人たちにおいても、自分の心というものが、意識している範囲だけのことだと思っていて、「考えていること」と「感じていること」の区別もつかないという傾向が、目立ってきていたのです。

「気」の身心一元論 ─心と体は一つ』第二章冒頭には、野口晴哉先生の1970年代の言葉「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」について述べられています。そして、金井先生が尊敬していた中村天風師(明治9年生)は、次のように述べています(『君に成功を贈る』強い命をつくる)。

 

・・・昭和二十年より前の人々と後の人々とでは、心に対する考え方に、大変なそこに違いがあるのであります。

・・・昭和二十年までの多くの人々の心に対する考え方は、今の人の考え方よりもその重大性をもっと価値高く認識されております。

・・・これは時代相応の一種の自然傾向であります。もっと率直に言うと、物質文化が異常に進歩して精神文化がおいてきぼりにされたという、この自然な傾向の中に生まれ、かつ生活しているために、肉体のほうばかり尊重して、心のほうはどうしても、おろそかにするつもりでなくとも、自分の注意から外に置かれているのであります。

 これはあなた方ばかりでなく、日本人の一般的傾向なのであります。ですからこうした問題を仕事の中心としている私たちの経験では、昭和二十年以後の人々のほうが、お導きをするのにも非常にお導きにくいのであります。

 心というものの重大性を本当に認識してませんから、まず心の重大性からはっきりわからせないと、「ああそうか」と思ってくれないからなんです。

  ここで天風師が言う昭和20年は1945年、太平洋戦争が終結した、日本にとっては敗戦の年です。敗戦を境に日本人が変わった、「心」が分からなくなったと天風師は言っているのですね。

 かく言う私も昭和四十八年、1973年生れ、母が昭和18年、父が17年生れです。両親ともに、こうしたことを実感できる年齢ではありません。「心」というものが分からない団塊の世代によって育てられた団塊ジュニア、そしてその子どもたち、とすでに「心」が分からない三世代が現代日本人の主流となっているのです。