野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 1

私と身体の関係

 今回、この文章を書くにあたり、私はこれから野口整体を始める人に整体のことをお話しするとしたら、何から始めるだろうか、と改めて考えました。私はやはり、「自分」と「体」の関係について話し始めたいと思います。

 私自身、自分と体との関係を捉えなおすことから整体を学び始めました。詳細は省きますが、当時、私は失敗や躓きを繰り返した後、どう生きればいいのか、どうしたいのかも分からず、身体から意欲・気力というものが消え失せているような状態でした。

 そういう時、個人指導で活元運動を初めて体験した時に、自分とは違う「意志」のようなものが運動として湧いてくるように感じたのです。当時までの意識が狭くなっていた「自分」は、生きる気力もないと思っているのに、身体は生きようとしているのだと思いました。

 私はそれまで、頭ばかりが先だって、身体と分離している(心が定まっていなかった)状態が長きにわたって続いていました。それが自分の行き詰まりをもたらし、野口整体の門を叩くことになったのです。

 しかし、今振り返ってみると、そもそも自分と体という表現自体が、整体の身体観とは違う概念だったと思います。整体では体こそが自分の本体であって、私が思っていた「自分」というのは、「意識」に限定した自分というべきものなのです。それでも、この地点から始めなければならないのが、現代人の悲しさなのでしょう。

 私は、これだというものを選んでそれを一途にやっていきたいと切望しているのに、それがわからない、できないという苦しさを抱えていました。

 そして、自分の不満や寂しさ、怒りはほったらかしのまま、開かれない心で何者かになろうとしていたことが、整体の道を通じてよく分かってきました。

 心が不明瞭で、これをやりたい、という要求もあやふやなのに、何かを探して右往左往していたのが本当のところで、これでは何をやってもものにはならなかったわけだな…と今は思います。