野口整体と科学 2
野口整体と科学における身心観の違い
1で述べたように、私には「頭ばかりが先だって、身体が分離している状態」があったわけですが、それは急にそうなったわけではなく、次第にそのようになってしまい、立ち止まることも気付くこともなくここまで来てしまったということです。それをもたらしたのは何なのか。
私は、それを理解するために、自分の生き難さの問題を何とかするために野口整体をやろうと思ったのが最初で、野口整体とは何かを勉強しようという壮大なことを思ったわけではありませんでした。
しかし、その入り口に立つには、自分か体をどのように捉えているかということを認識する必要があったのです。
金井先生は本を編集していく上で、西洋医学の成り立ちと、西洋医学が対象としているものとは何かについてから解き明かしていくことにしました。これは、一般的な「体の見方・捉え方」というものの基本が西洋医学であることによるものです。
そして、西洋医学が何を見ているか(また何を対象としているか)を知ることは、西洋医学では何が見えないのか(何を切り捨てているか、対象としないものは何か)を知ることにつながるからです。
そして、西洋医学では見えないもの、それは現代の教育の中においても見えなくなっているもので、それが「潜在意識」(意識以前の心)というものなのです。
野口晴哉先生の最後の著書『健康生活の原理』(全生社)には、「私がお話するのは、いままでの学問的な考え方だけでは考えきれない体の問題なのであります。」という一文があります。そして本文(一三頁)は「今まで人間は物として研究されてきました。そして意志で動いているという面が強く言われております。」という文章から始まります。
「いままでの学問的な考え方」「人間は物として研究…」と表されているものは「科学的」な見方というもので、現代医療の主流である西洋医学に代表される考え方のことです。野口整体はこれとは違う人間観、健康観に立っているということが、冒頭から述べられているわけです。
それは、野口整体ではこのように身心を捉えなさいという意味ではなく、人間は本来こういうものであるという原理に基づく観点というべきものです。
しかし、その智をともするとこれまで勉強したことのある科学的な方法論や知識と間違えてしまい、体癖や潜在意識を問題の原因と断定するだけに止まったり、著書などに書いてある内容を当てはめて運用・応用しようとしたりしてしまいがちで、それによる問題に、接することもありました。
そのような轍を踏まないためにも、野口整体が科学とどう違うのか、また学び方そのものの根本的な違いを最初に理解し、身体観から捉えなおすことが、大切だと思います。