野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

「物心二元論」近代科学の基礎にある物理学―近代科学の見方とは 2

物理学の基礎にある物心二元論と西洋医学

 金井先生は前回引用した文章の前に、ご自身が野口整体の道に入った1967年(昭和42年)、日本は科学技術の未来を信じ、西洋医学全盛の時代であったこと、その当時野口先生が講義の中で「ここ(整体協会のこと)は気○○○部落です」と言った、と回想しています。

 それは野口整体の「病症を経過する」という思想が西洋医療のあり方とは異なり、発熱の意味を説いても日本全体では理解する人が少なかったから・・・と述べています。

 今でも病院での医療のあり方は引用文の内容と基本的に変わっていませんし、最近の変化は病院側が患者を「患者様」と呼ぶことぐらいでしょう。

 病院の問題が話題になる時は医師の個人的資質の問題や個々の病院の問題として語られるだけで、西洋医学が対象にしているのは何なのかなどと考えることはあまりないと思います。それを視野に入れずに病院や医師だけを批判するのはおかしいと思うのですが。

 前回、引用文の最後に「西欧に発達した近代医学は、病気の原因を物質だけに限定したお蔭で大きな成果をあげることができた」とありました。今回はこうした西洋医学が基としている近代科学の見方の特徴「物心二元論」について考えてみたいと思います。

 

 石川光男氏は『ニューサイエンスの世界観』で、前回引用した文章の後、「科学の特徴は、物理学が自然科学の考え方の基礎になっているという点に由来しており、物理学の本質的な意味を知ることは、科学の本質を知ることにつながっている」と述べています。

 科学的な見方は物理学が基礎になっていて、物理学の研究方法が科学的研究方法となった・・・ということです(私は学び始めの当時、全く知りませんでした)。石川氏は、物理学の出発点にある「物心二元論」について次のように述べています。

物と心の分離

近代的な物理学の出発点は、自然現象と「心」を完全にきり離すことから始まったといってもよい。自然現象は、人間の意思や心の動きとかかかわりなく起こるものであり、自然現象自身の中にも、人間の心のようなはたらきがあるわけではない、というのが近代物理学の考え方である。

・・・「物」の現象に、「心」を原因とするような内在的な力を認めないという考え方は、物理学を支える基本的な前提である。物理学は、本来無生物を扱う学問であるから、この前提は、無生物としての「物」に適用されていた。 しかし、生物も無生物と同じ原子によって構成されていることがわかったために、人間のような生物を扱うときにも「物」の現象から「心」が排除されることになった。近代的な西洋医学が、病気を単なる「物」の現象として扱い、人間の「心」とは分離してとり扱う伝統をもっていることを考えれば、物理学と医学が同じ土台の上に立っていることがよく分かる。

…「物」の現象と「心」の現象とを切り離して考えることが近代科学の大きな前提となっている。

 金井先生は当時、「物を見る時、安定しているということは、変化しない、動かないことだけど、人間の健康状態はそうではなくて、変化すること、動くことが中心にして観るんだ」、そして「西洋医学では治療の際に「安静」を考えることが多いが、こういう見方も物理学なんだ」と言っていました。

 人間の体を物の方面からだけ見ることで科学的研究をすることが可能になり、近代医学が発展したということは、西洋医学が何を対象としているかをはっきりさせる上でも大切なポイントです。これからは病院に行く場合もここを理解した上で行く方が良いのではないかと思います。

 生きている人間の体は物としての側面からだけでは分からないことがたくさんあり、そこを観るのが金井先生の整体指導における観察というものでした。それは野口先生から金井先生がしかと受け継いだ、生命を観る眼というものであったと思います。