近代科学では見えないもの―近代科学の見方とは 3
近代科学では見えないもの
金井先生の未刊の著書、第一部では、石川氏の説く東西の世界観の相違と、湯浅泰雄氏(哲学者)の説く東西の身心論の相違を基盤としていると述べられています。そして先生は、このお二人の思想を通じて、「近代科学文明と東洋宗教文化」の相違を通じ、西洋医学の「思想と方法」と、野口整体の「思想と行法」を考えたと述べています。
ここにある通り、石川光男氏はキリスト教とヨーロッパの風土が近代科学の世界観に色濃く反映していることを述べ、湯浅泰雄氏はギリシアからキリスト教に受け継がれた西洋の二元論的心身観と東洋の一元論的身心観について述べています。
本ブログではこの内容に入る前に、「心療整体」(金井先生の個人指導とその意味)の内容に入る予定です。
今回は、西洋医学(近代科学)では取り扱えないもの、見えないものとは何かについて考えてみたいと思います。
金井先生が「科学では捉えられないもの」として挙げているもののキーワードを挙げてみると、次のようなものがあります。
主体性
気(生命)
感覚・感情(主観)→自分
潜在意識・無意識(意識できない心)
この中で「自然治癒力」というものについて考えてみましょう。
西洋医療は部分的な「症状をなくすこと」に主眼を置いていて(病気中心主義医学)、全体的に「自然治癒力が働くようにすること」にはあまり関心がないということです。
自然治癒力は恒常性維持機能(ホメオスタシス)とも言われるもので、これが機能しなくなったら、いかなる治療も功を奏さない(=死亡する)ことは、医学的にも認識されています。
しかし、在って無きが如き存在となっていることがほとんどで、どのようにすれば自然治癒力が高度に働くのかは医学的研究の主流とはなっていません。
一方、 野口先生は「意欲は人間の生活の中心」と、意欲と体は一つのもので、「意欲が起こると今までにない変化が体の上に起こる」述べています。
そして、金井先生は自発的・意欲的な心で生きれば、人は自ずと健康なのです。」と述べ、自然治癒力が十全に働くようになるには「本人の生活態度が主体性を取り戻すこと」が肝要であると述べています。
この主体性というのは、ポジティブ・シンキングのように「考え方を変えること」や意識的に「やる気を起こす」などということではありません。時に応じてこうしたい、こうしようということが自ずと出てきて、そのように動けるということです。
しかし、そのようではない時はなぜなのか。何がそのような状態を損なわせるのか。こうしたことの大本に、意識できない感情の停滞がある・・・というのが金井先生の個人指導でした。潜在意識の中にある感情が停滞していることで、活気も意欲も起ってこないし、主体性も自然治癒力も十全に発揮できなくなるのです。
そして、東洋では宗教行もそこから派生した健康法(養生法)も、「情動のコントロール」を目的としていた・・・と説いたのが湯浅泰雄氏でした。
鈴木大拙の禅思想、1970年代に整体をヨーロッパに伝えた津田逸男氏のこと、活元運動について、その他お伝えしたい内容はまだまだたくさんありますが、野口整体と西洋医学についての内容までで一区切りとします。
この後、金井先生が「心療整体」とも言った金井流個人指導の内容に入る予定です。