この体は骨盤が頭だ 2 私の金井流個人指導体験
「この体は骨盤が頭だ」2
個人指導を受ける
指導の順番が来て、問題の彼の話から始まった。そして、立姿での観察に入り、私はこのところの自分の状態を話した。話しながら涙が止まらなかった。悲しいというより、何かが溶けていくような感じだった。
広い和室に入り、指導が本式に始まった。俯せの観察に入る前、先生は私の体は腰に中心があるという話をした。そして背骨を観、骨盤、仙骨へと先生の手が下がっていくと、先生が不意に「この体は、骨盤が頭だ」と言った。
次の瞬間、私は自分の上下が、がらっと入れ替わったような感じがした。そしてはっと我に返った。急に現実感が戻ってきて、真空状態だった自分の周りに空気の流れが戻ってきたようだった。
私はそのことをすぐ先生に言うと、先生は「そういう頭なんだわな。この人の頭はそうなんだ」と言った。私は腰を打ったと思っていたが、それは私にとって頭を打ったの同じことなのだと分かり、自分が今の状態に至ったきっかけと経緯が一瞬にして呑み込めた。
その後の操法を受けながらの活元運動の最中に、様々な辛い感情がよみがえってきた。まずは驚き。そして彼の奥さんに対する怒り、彼の生きようとする力が無残にへし折られてしまったことに対する怒り、何もできない自分の情けなさ。
そして精神病院から帰ってきたら、以前の私の友だちだった彼とは違う人になってしまうだろうという暗い予感。心の流れとともに辛い感情が戻ってきたのだった。
最後に正坐をすると、自分の中に深い悲しみだけがあって、怒りはなく、「待つしかない」と心が決まっていた。白い障子が明るく見えた。決して暗い気分ではなく、自分が戻ってきたという感覚と、静かな落ち着きがあった。そしてこの日の指導を終えた。
この日の指導は、自分の中心はどこにあるのかという自覚と、体癖の自覚が一つになった非常に意味深い指導だった。
そして止まったり流れ出したりする内的な時間、体に気が流れ出すと止まっていた感情が戻ってきて流れ出すこと。心と体をつなぐものとしての「気」というものについての様々な発見と学びがあった。
私は金井先生の個人指導を受け始めた頃、「ガラスの破片がいっぱい入った泥の中に手を突っ込むようなことをする人だ」と思った。
先生の触れ方は、体の中に手が入ってくるような感じがした。先生はそれに何の恐れも不安も感じていないのだ。私は漠然と自分の中に棘や硬くて手を切りそうなかけらがあることを感じていたから、すごいな・・・と思った。
先生は当時から、「野口整体は宗教だ」「野口整体は禅なんだ」と言うことがあったが、私はこの指導を通じて、先生が「宗教」と言う時の真の意味を理解することができた。辛い経験ではあったけれど、野口整体金井流入門の洗礼だったのかな・・・と思う、忘れることの出来ない指導だった。