野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

金井流個人指導における観察と「からだ言葉」

体が訴えている心(潜在意識)を 相手に変わって表現する

  金井先生はご自身の観察を分かりやすく説くために、よく「からだ言葉」の例を用いました。

 言葉では訴えられない、しかし体が訴えている(体の表情として表れている)心を感受するのが個人指導での観察なのですが、「腹が立つ」「頭に角が生える」などの「からだ言葉(感情表現を意味する体にまつわる言葉)」が、実は体の表情そのものだというのです。

 怒っている時は「腹が立つ(=直腹筋が硬くなる)」し、「頭に角が生える(鬼の角が生えている位置が硬くなる)」、意欲がなくなれば本当に「腰が引ける(骨盤が下がる)」。

 昔の日本人は、体の様子から心を見てとっていたから「からだ言葉」ができたのであって、単なる言葉上の喩えではないのです。

先生は「からだ言葉」のように、観察で受け取った体の表情を相手に変わって言葉で表現し、「そういえばそうです!」と、相手に自分の状態を自覚させる指導を行っていました。

『「気」の身心一元論』では、巻頭記事で触れられていますが、金井先生の個人指導についてまとめた未刊の著書(二冊目・中巻)では、からだ言葉と自身の整体指導、そして日本人の心と気の感覚についての一章としてまとめています。

 私の指導例では「この体は骨盤が頭だ」と言っていますが、私はこの一言で、自分の今の状態を自覚し、「気が動転していた」(重心が上がっていた)のが戻りました。

 必ずしも慣用表現としての「からだ言葉」そのものではありませんが、体から捉えた「その人」というものを、気を通して投げかけることで、相手は本心を取り戻すことができるのです。個人指導においては、こうしたやり取りも「愉気」なのです。

 このように、先生の指導における「心理療法」というのは、相手が言葉で訴えることを聞くことではなく、自覚していない心(主に感情)に気づくための過程であり、先生はそれを、体の観察から本人に先んじて捉え、感覚的にも共有していくのです。

 そうすることで相手は気が下がり、重心が下がって「地に足がつく」というわけです。

 操法、活元運動、正坐・・・という身体的要素とともに、気による心理療法、気の深層心理学というべきものが金井流個人指導を特長づけており、先生は「心療整体」とも呼んでいました。