野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

自分で自分を研究する―ユング心理学と金井流個人指導2

 自分で自分の研究をするユング心理学野口整体、自分とは関係ない科学

 金井先生は「思想とは、哲学の世界で『考えることによって得られた、体系的にまとまっている意識の内容』を言い、『その人の生き方、社会的行動などに一貫して流れている、基本的な物の見方、考え方』だと言います。

  整体で特に大切なのは、その人の生き方と行動に「一貫して流れている」、物の見方と考え方というところで、「野口先生がそう言うから信じる」「その通りにする」ではなく、自分がそのように「なる」ということが、修行なのです。

『病むことは力』を読まれた方はご存知かと思いますが、金井先生は「孤立(理解されないという心の飢え)」の中で育ち、身心の発達が十分でない状態で野口先生に入門しました。

 そのため情緒不安定になりやすく、気が散りやすいことや感情の内攻にも悩んだと聞いています。そういう自分の問題を乗り越えるために潜在意識法を学び、整体に取り組んだのです。

 しかし科学的手法(代表的なのは西洋医学の医療)ではどうでしょうか。西洋医学では、病因と症状の因果関係のパターンを学習し、その治療法を知識として得て、患者に適用します。学習・診断・処方、すべて知的、理性的に行うことが可能というのが前提で、かつその人全体、人間を観るのではなく「病気」を抽出し治療を行うのです。

 では野口整体の整体指導はどうかというと、科学的手法で行うのは「不可能」であり、「その人」という人間全体を観るのだと金井先生は言いました。

 そして1965年、スイスでユング派分析家の資格を取り帰国した河合隼雄氏は、ユング派の心理療法と科学的手法の違いについて次のように述べています(『日本人という病』)。

 

…みんなが科学が好きで、科学、科学と言っている日本で、私が勉強してきたようなことを、どうやって浸透させていくのか、ということをずいぶん考えました。

そんななかで気がついたのは、私が習ってきた心理学は自然科学ではないということでした。少なくとも近代科学とは違う。近代科学とは方法論が全く違っているんだと。どう違っているかというと、臨床心理学はフロイトにしろユングにしろ、自分のことから始まっているんです。

フロイトはもともと、ものすごいノイローゼ、神経症がありました。自分の神経症を治すために、いろいろ自分の分析を始めたわけです。・・・それを何とか体系化して、精神分析学を作ってきたのです。

ユングの方は、普通の医者が診たら精神病と思うような症状で、・・・その体験を克服し、自分で自分を治していく間に、自分で分析をしているわけです。自分で自分を治していったその体験を、なんとか普遍的な言葉に置き換えて、そしてユングの心理学を作り上げていった。

・・・近代科学の場合、非常に大事なことは、客観的に現象を観察するという方法を完全に確立したことです。だから、物が落下するときでも、私とは関係なく観察し、測定し、それを記述する。そうすると、記述している私と関係のない客観的な因果関係がわかってきますから、そこに出てきた法則は誰がやっても通用する。

ところが、フロイトユングは、自分で自分の研究をした。深く深く心を研究していくと、こういうことがある――と言っているわけですから、これは近代科学とは全然方法が違うわけです。つまり、研究する人もされる人も同一人物です。

 

  金井先生はこの「自分のことから始まるユング心理学」について『「気」の身心一元論』(第一章Ⅳ河合隼雄)で、次のように述べています。 

私は「自分を知った分だけ、人が解かる」と思って来ましたから、この「相手の人間を知るためには、自分を知っている必要がある」というところから、ユング心理学に対する関心を深めて行きました。

 科学である西洋医学を学ぶ上では、このように「自分を知る」ことは問題にされません。

 野口整体の「整体操法」というものは、「乗馬」に例えることができると思います。自分の「心身」を制御できないで馬に乗ると、馬を制御することはできません。制御するには、自分の心に対しても(体に対しても)馬に対しても、「対話」が必要なのです。