野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

身体感覚の発達と瞑想法―心身医学と金井流個人指導2

 身体感覚と心の成熟

心身医学と深層心理学は、意識と無意識、心と体、意識運動(主に骨格筋の随意運動)と無意識運動(内臓を司る自律神経系の働きや錐体外路性運動系)の間にあって、両者をつなぐ働きとして「情動」に注目してきました。また東洋では、情動の働きを「気」を通じて感受する能力を高める伝統がありますそして瞑想の重要性を発見していった、というところまで述べました。。

 こうしたことは、金井先生が偏り疲労を通じて情動の働きを観察し指導の焦点としてきたことと共通しています。先生も、瞑想的な意識を養うことを説いていました。

 野口整体では行気によって、「心で気の集散を自由にする」ことが、瞑想と言えるでしょう。 野口晴哉先生は『整体入門』で次のように述べています。

「気」は心ではない(二三頁)

…「気は心」といいますが、心そのものではありません。ただ気の動くように心が動くだけです。心だけではありません。体も気の行く方に動きます。 心で気の集散を自由に行う(二六頁)

…気をおさめ、集める訓練は、そこに気が集まってしまうことではなくて、自分の体のどの部分にでも気を自由に集め、また、抜くことを行なうのです。だから、気を転ずることも外す(はず)ことも、気を入れることも通すこともできるようになるのです。気に心が引きずられないで、心で気の集散を自由にすることが、その訓練の内容です。

 私は、思うようにことが進まず辛くなると、「どうしたらいいのか」という答えを求めたくなり、それを考えてしまうという悪い癖がありました(今でもそうなってしまうことがあります)。

 そういう時は、不安や恐れで体が緊張し、偏りを起こしていることが感じられず、活元運動もすっきりとは出ないものです。頭や上体のどこかに気が集まって過敏になり、骨盤や腰椎からは気が抜けて鈍くなっているのです(先生はこれを「上実下虚」という)。

 しかし、そこで骨盤と背骨を正すと、自分の中心が上に行っていたことが分かります。すると思い詰めていたのが外れ、感覚が戻ってくるのです。

 そうすると、活元運動も流れ出すように出てきて、「心を落ち着けて待つ」という気持ちになります。

 答えを出そうとして考えるのをやめ、心の落ち着きを取り戻すということが大切で、そうやって「心の力」というのは発揮されるのだ、と金井先生は教えてくれました。

 金井先生は、整体指導の目的は「感受性を高度ならしむる」だ!とよく言っていました。感受性というのは、外界をどのように感じるか、受け入れるかという、刺激に対する反応の仕方のことです(感覚は感受性のありようによって、鈍くなったり敏感になったりするもので、常に一定ではない)。

 これは自分の健康を自分で保つことの基礎であると同時に、人間が大人になる、成熟するということの基礎でもあります。自分の感覚を正し、発達させること、そして自分以外の人の感じ方も理解できるようになることが心の成熟であり、感受性が変化し、感覚が発達することで心の世界も変わっていくのです。

 自分の成育歴、両親などの影響で、未熟なままになっている身心の状態は、主に腰椎部と骨盤部に見られるものですが、それは同時に自身の情動を鎮め、心の落ち着きを取り戻す能力の中心でもあります。

 身心共に成熟していくことは、自然健康保持の上でも不可欠であり、宗教性ともつながる心のはたらき(無心・天心)を体から引き出すことを目的とする「東洋的身体行」ともつながることなのです。