野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

活元運動の心―人間の自然とは

病症の経過と、自我とたましいの統合

『「気」の身心一元論』第三章では、津田逸夫氏についての内容の後、急な腰痛で指導を受けたMさんという女性の指導例が入っています。

 Mさんは指導の中で、頭が働かなくなっている状態から抜けるとともに「悔しい」という強い情動が起こった出来事を思い出し、それを訴えた後、活元運動を通じて病症を経過する・・・という内容です。

 この話を最初に聞いた時のことは今でもよく覚えています。Mさんは前回の指導から一週間もたたずに激しい腰痛が起きたのでした。先生ならではの確かな観察の下に行われた指導であったと思います。

 この時、背骨の観察から「悔しい」という感情を観て取った先生から「悔しいことで心当たりない?」と聞かれても、頭が働かず、なかなか思い当たることができませんでした。Mさんは腰痛のみならず、先生が「それを聞いて半分気を失っていたんだね」と言ったほど、意識状態が混濁していたのです(自我の主体性が失われていた)。 

 そしてしばらくの後、やっと思い出すことができました。Mさんは自発的に「やりたい」と思ったことを友人に全否定され、「悔しい!」思いをした後、友人に「姑が(自分のことを)死んでしまえばいい、と電話で言っているのを聞いた」という話を長々聞かされて気が遠くなってしまったのです。その次の日、腰痛が始まったのでした。 

 この指導例の中で、金井先生は河合隼雄氏の次の文章を引用しています(河合隼雄ユング心理療法』)。

個を超えて

 近代になって人間の理知的側面が強調されるあまり、人間は感情をおさえて理知的にものごとを判断することを高く評価しすぎるようになった。あるいは、感情を表すにしても、対人関係を円滑にすることに重きを置きすぎて、いわゆる否定的感情は抑圧することになりがちであった。

 このため、人間の心の深層に至ろうとする者は、必ずこの押し込まれた感情の貯留地帯に突き当たることになる。人間の自我をその深みにつなぐ、つなぎ目のところに感情のかたまりがあり、それが凝固していればいるだけ、自我はたましいと切れた存在となってしまう。このような事情から、心理療法においては人間の感情ということが非常に大切となった。

・・・ただ、感情の問題は浅薄に理解され、感情の発散が心理療法の目的であるかのごとく思われたりしているが、感情の発散と表現とは、大いに異なっている。

 感情の発散は文字通り発散するだけである。このことも心理的負担を一時的に軽減するので少しは意味があるが、本来的に治療的価値は薄い。やはり、それが感情表現となる時に治療的になるのである。そのことを狙うからこそ、治療的な関係と、日常会話とは異なってくる。

 感情の発散現象は、日常的経験の中でいろいろと生じている。感情を表現するためには、その人の自我が主体的に関わることが必要であり、その表現が他者に理解されることが望ましい。感情の表現を通じて、自我が他者の理解を得ようとしている時、それはとりもなおさず、自らの心の深層へのつながりを模索していることになる。

 「感情のかたまり」が、自我とたましいの間にあることで、自我はたましいと切れた存在になってしまう。そのつながりを取り戻すために、「腰痛」という病症が起きたのです。金井先生は、これが「病症が体を立て直す」はたらき(自然治癒力)である、と述べています。

 そして、先生に自身の感情を訴えた(表現した)ことで、自分を取り戻し、心が晴れて、活元運動によって意識と無意識が統合されていく。すると自ずと病症の経過が進むのです。

 指導の後、Mさんは熟睡し、次の日には全快したとのことで、整体指導(操法)では、その場で痛みが無くなることよりも「熟睡して経過を完了する」ことでより全体が整うと見ます。

人間の自然を保つ

 この指導例のもう少し先には「里山の自然、人間の自然」という見出しの文章があります。今回は引用ばかりですが!これでまとめたいと思います。

 

野口晴哉は、「人間の自然は抛(ほう)っておくことではない」と述べています。

 里山のことをご存じですか?

「手つかずの自然」というものがある一方で、「里山の雑木林」は、人間が適度に手を加えて自然をより豊かにしていくというものです。雑木林に落ちた葉っぱは畑に入れ、枝を適度に切って炭にするなど、人と自然が共存しているのです。手つかずの自然からも目に見えない恩恵が与えられている。そういう中で人が暮らす。

 野口整体は、要すればこういうことなのです。与えられた命をどう耕すか。そのままにしておくもの、手つかずの自然もあり、雑木林のように適度に介入する部分があり、畑という人間が汗水たらしてものを作り出すという、この三つと同じものがあるということです。

 言い換えれば、神ということなのです。神が与えた命を耕してきちんと生きる。生まれることや死ぬことを、自分はコントロールできません。しかし西洋医学では、徹底的に死なない方法を追求している。

・・・西洋というのは、行き着くとそうなってしまう。良い意味で受け身で、自然に任せるということができなくて、し尽くしてしまうところがあります。

 野口整体では、「待つ」ことを覚えるのが大事なことです。病症が経過するのを待つこと。西洋医学では、待てないからこの薬で駄目ならあの薬、というように、いろんなことをしてしまう。それに対して、体を整えて待つということは、自然に任せることであり、本当の意味で神様に委ねることなのです。