野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

見るものと見られるものの分離

科学の知にある「切断と支配」という特徴

 今回から中村雄二郎氏の「共通感覚」に入る予定でしたが、その前に、私たちのものの見方に入り込んでいる科学性についてお話しようと思います。

 人間が物質を対象とし、それを操作する時の方法として、近代科学は絶大な力を発揮してきました。それが生きている人間に対して応用された代表的な分野が「西洋近代医学」です。

 そして次第に、医療の場で生きていること、心があることを排除する傾向になっていったわけですが、その大きな原因は観察における「切断」でした。

『「気」の身心一元論にも引用されていますが、ユング心理療法家の河合隼雄氏は、科学の「客観的観察」について次のように述べています(『心理療法序説』)。

1 科学の知

…科学の知においては、世界や実在を「対象化して明確にとらえようとする。」これは、対象と自分との間に明確な切断があることを示す。このことのために、そこで観察された事象は観察した人間の属性と無関係な普遍性をもつことができる。ひとつのコップを見て、「感じがいい」とか「これは花をいけるといいだろう」とか言うときは、コップとその発言者との「関係」が存在し、その人自身の感情や判断がはいりこんでいる。つまり、コップとその人との間の切断が完全ではない。このため、そのようなコメントは誰にも通用する普遍性をもち難い。これに対して、コップの重量を測定したりするとき、それは誰にも通じる普遍性をもつ。

 この「普遍性」が実に強力なのである。それがあまりにも強力なので、客観的観察ということが圧倒的な価値をもつようになり、「主観的」というのは、科学の世界のなかで一挙に価値を失ってしまう。

 文末に「科学の世界のなかで」とありますが、これは知的次元での対話や文脈の中で、または公的な、と言いかえることできます。

 ある人の「主観」、感覚や感情は対象との「関係」を生じさせると氏は言っています。しかし、主観の入ったことは、普遍性のある情報としては認められないわけです。河合氏は次のように続けています。

1 科学の知

…ここでひとつの例をあげる。印象的だったので他にも述べたことがあるが、学校へ行かない子どもを連れて相談にきた親が、「現在は科学が進歩して、ボタンひとつ操作するだけで人間が月まで行けるのです。うちの子どもを学校へ行かせるようなボタンはないのですか」と言われたことがある。これだけ科学が発達しているのに、ひとりの子どもを学校へ行かせるだけの「科学的方法」はないのか、というわけである。

 この言葉は非常に大切なことを示している。つまり、ここで「科学的」方法に頼るとするならば、父親と息子との間に「切断」がなくてはならない。既に述べたように、近代科学の根本には対象に対する「切断」がある。しかし、この親の場合はあまりにも極端としても、われわれは他人を何らかの方法によって「操作」しようと考えることが多いのではなかろうか。つまり、自然科学による「操作」があまりに強力なので、人間に対してもそれを適用しようとするのである。しかし、もしそのように考えるならば、その人は他からまったく切断され、完全な孤立の状態になる。

 現代は孤独に悩む人が多いが、そのひとつの原因として、自分の思うままに他人を動かそうという考えに知らぬ間にのめり込んで、結局のところは人と人との「関係」を失ってしまっていることが考えられないだろうか。相談室に訪れる多くの人に対して、「関係性の回復」ということが課題になっている、と感じさせられるのである。

 河合氏のこの文章は、いつ読んでも圧巻です。金井先生と繰り返しこの文章を読み、先生もそのたびに感銘を受けていました(後半は先生の個人指導を中心とした未刊の原稿に使用されています)。

 自分の子どもが憎くて学校に行かせようとしているわけではなくとも、自分の心の力ではない「方法」を用いようとすることが「切断」「操作」になってしまう。何か問題が起きると「どうしたらいいか」をインターネットですぐ検索、というのもそれに準ずることですね。

 家族間など人間関係の問題の中心は「関係性の回復」にあるというのは非常に本質的なお話で、多くの人は「起きている問題」に対する「解決策」を求め、その答えをくれる人を有難がってしまうものです。

 しかし、短期的には功を奏しても、それが「関係性の回復」にならなかったら却って溝が深まるかもしれません。もともと関係性(つながり)に問題があって、それに対する怒りや不満の表現として問題が起きることが多いのです。

 一人の人間を考えても、問題の本質には心と体、意識と無意識の関係性が中心にあります。この河合氏の指摘を踏まえ、「共通感覚」に入って行こうと思います。