野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

共通感覚とは何か―共通感覚 2

共通感覚と「正心・正体」

 これから入る中村雄二郎氏の共通感覚の内容は、『「気」の身心一元論』第一章二にある引用箇所の拡大版で、未刊の原稿ともなっている部分です。今回は私が引用を少し増やし、説明を入れながら進めていこうと思います。

 その前に、生理学的な「感覚」についておさらいして、その後に共通感覚についての説明に入ります。

〈感覚〉

  • 外界感覚―視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚=五感(身体の外からの刺激)
  • 身体内部感覚―熱覚、平衡感覚、方向感覚、運動感覚、体感覚、筋肉感覚、痛覚など

 五感は目・耳・・・など器官も個々に違い、感覚も別々に働いているように思う人も多いのですが、実際にある対象を捉える時にはいくつかの感覚を同時に働かせています。

 ネットショッピングで服を買う時に、写真だけでは「質感」が捉えられなくて失敗する時などが良い例でしょう。触覚、嗅覚なども働かせることで、そのものの全体が捉えられるのです。味覚と嗅覚は「おいしさ」を感じる上で切り離せませんし、聴覚と視覚で動画を楽しみます。

 一方で、ある板前さんは良い素材かどうかは「触ると分かる」と言いました。見た目は良くても、触ると「あれ?」という時があるのだそうです。

 このように感覚が働く前にあって、感覚を総合し質や全体性を捉え、判断や比較をする感覚を「共通感覚」と言い、中村氏は「五感の一つ一つとはちがった次元の全体的直観」と言っています。

 金井先生によると野口晴哉先生は講義で「五感以外あるいは五感以前の感覚」の重要性を説き、健康を保持する上でも、観察をする上でも、これに拠って行われているとよく言っていたとのことです。

 この共通感覚というのは古くは古代ギリシアの哲学者アリストテレスが説いたとのことで、中村氏は次のように述べています

・・・諸感覚を十全に発揮させ統一的に働くこの根源的な感覚能力が「共通感覚」、つまりコモン・センスなのである。

 現在コモン・センスというとふつう、社会的な常識、つまり社会のなかで人々が共通にもつバランスのとれた考えのことをさしているが、実はいっそう旧くからある、もともとの意味は、諸感覚を貫いてそれらを統一するこの共通感覚の方なのである。もとよりこれとそれとは決して無関係なわけではない。一人の人間の中での諸感覚のバランスのとれた十全な発揮や全体的な直観が、あたかも社会の中で人々が共通にもつバランスのとれた考え方、地味だが洞察力に富んだ考え方と照応し、後者の基礎には前者が考えられなければならないからである。

 この共通感覚が十全に働く基礎に「正心・正体」という身体性が必要である、というのが金井先生の持論で、東洋宗教、一般的には「腰肚」というのがその基礎となっていたと述べています。もちろん野口整体もです。

 つまり「高度な主観」、または感性とは十全に働く「共通感覚」であるということです。「型」というのはそのためにあったのです。金井先生はこれを「内にある物差し」による認識と判断と言い、「科学の物差しは外にある」と言います。

 以前塾生だった医師(現在50代前半)は、「自分が医学生だった時にCTやMRIが導入され、画像診断が中心となり、触診など感覚による診断法を教わることはほとんどなくなった」と話してくれたことがあります。試験も画像診断が中心なのだそうです。熟練した医師は脈に触れば正常か異常かの判断はできるそうですが、脈も血圧も機械で測定するのが普通です。

 こうした医療現場のみならず、「正確を期す」あまりに機械に判断をゆだねるというのは、私たちの生活レベルにまで浸透している現実だと思います。そして、次第に「内にある物差し」を失いつつあるのです。

 すみません、触覚に入れませんでした・・・。次に続きます。