野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

隠れたものを観る―禅文化としての野口整体Ⅰ 4

整体指導で観察する〔身体〕

  今回は、三 隠れたものを観る 2(26頁)から始めます。今回も指導例で、Kさんという50代の中学校教師の男性のお話です。

 この指導例の前半のポイントは、Kさんは最初に、学習意欲のないSさんという女生徒と「話し合い」をしてすっきりしたので、これで授業がうまくいく!と思ったのに行かなかった・・・という思いを持って、指導に臨んだという点です。すっきりしたのはKさんだけで、Sさんの学習意欲には影響なかったのですね。

 そして指導は、Kさんの「三週間、毎日胃が痛かった」という訴えから始まりました。

 Kさんはある程度、Sさんとの問題を胃の痛みと関連付けてはいたのでしょうが、「自分にとって相当深い問題だ」「自分のどこが悪いんだろう」と考えていただけで、情動的ショックとは結び付いていませんでした。

「土壺にはまっていた」と、明確に形容できる、稀な状態と金井先生が表現するぐらいですから、相当な自縄自縛の背骨だったのでしょう。

 そして、鳩尾(腹部第四)に手を当てて強いショックがあったことをKさんに問いかけると、Kさんは自分が陥っていた事態に気が付きます。

 野口先生は「感情は鳩尾にある」と言います。生理学的には感情は「脳(大脳辺縁系など)」で起きるとされていますが、野口先生の意味するところは、感情は鳩尾が源で、その身体感覚が脳に届き、感情として意識するということです。

 Kさんは自分が十八番としている授業をSさんに「これでどうだ!」とぶつけてみたのですが、みごとに滑ってしまい、強度の「敗北感」によってショック状態になってしまったのです。このような落胆と胃の痛みが、ここでようやくつながりました。

 勝ちに行くことが意欲と行動の原動力である、捻れ型七種体癖のKさんにとって、「敗北感」というのは自己否定に近いもので、その先がなくなってしまう、行き詰まってしまうのですね(体癖については今後、まとまった形で詳述します)。

 こういう状態に陥った時(他人にはそう見えなくとも本人がそう感じた時)、病気になる、しかし西洋医学では「胃が悪い(またはピロリ菌が原因)」と診断し、それ以外の要素は視野にないと先生は言っています。

 同じ胃潰瘍でも、頭の中で雑念が渦巻いていることが原因になる体癖(上下型二種)もあるし、原因も、情動の内容もさまざまですが、西洋医学的には個人的事情は排除し、「胃」に集約して診断と処方を行うのです。

 活元運動の後、ショックを受けた身体状況がはっきりしてきたことで、Kさんは身体的な胃の痛みとショックの強さがようやくつながってきました。背骨が動きを失っていると、どこが悪いのかもはっきりしないのですが、活元運動をすると焦点がはっきりしてきます。

 Kさんは「あなたには落胆したという意識はあるけれども、ショックを受けたその時の情動への意識が薄いのです。「身体感覚」ということですね」と先生に指摘されています。

「情動」という体から起こる心の動きを感じるのが身体感覚ですが、身体感覚が鈍いと、漠然と「もやもや」しているだけで、強い敗北感で立往生しているという「体に起きていること」をはっきり意識できないのです。そういう人は単に「胃痛」だけを気にしてしまうものです。

 指導によって、Kさんは自覚できていなかった情動的ショックで動きが止まっていた状態から抜け出すことができました。そしてこれまであまり理解が進まなかった体癖と自分の問題の関係に気づき、自分の感受性について学習し反省することができました。

 捻れ型七種なのですから、Kさんが勝ちに行く、勝負に出るのはいいのですが、敗因は相手を理解しないまま、一方的に十八番(自分の欲・勝ちを急ごうとする)をぶつけてしまったことにあるのです(体癖修正)。

 金井先生は「その感覚(敗北感)と自分が一つになって、過ぎ去る(興奮が鎮まる)のを待つことで、出来事全体を象徴する「胃の痛み」も経過するのです。」と説いています。

 こうした過程を経ず、「西洋医学は、ただ胃潰瘍だとか診るだけだから、人間的にも進歩しない(精神の向上がない)」というのです。

 そしてKさんに、第三者にそれを証明することができない、MRIでも分からない、こういう〔身体〕(気で観る身体)が存在すること、この主観(禅的な絶対主観)によってしか捉えられない世界を理性的、客観的に表現したかった、と先生は興奮気味に言っています(録音を聞いた時の記憶)。金井先生は、そこに野口整体の魂、真の価値があると言いたかったのだと思います。

 数学科の先生で、理性的能力の高いKさんですが、おそらく、この時初めて金井先生の個人指導の真髄を体で理解したのです。当時の先生の想いが今でも伝わってくるような内容だと思います。