野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

「病症をどう観るか」―禅文化としての野口整体Ⅱ 2

西と東

 今回は禅文化としての野口整体Ⅱ(10頁)「病症をどう観るか」 ― 金井流思想展開 からです。これは未刊の上巻第一部 第一章にある文章で、多くの金井先生の文章の中で、私が一番好きな文章です。

 哲学者の故・梅原猛氏は、ユーラシア大陸の西と東の文明を、「小麦と酪農」の文明、「稲作と養蚕」の文明と定義しています。また、以前読んだ小学校四年生の学級で梅原氏が授業を行った時の記録では、たしか「パンとチーズ」、「お米と魚」の文明と説明していました(『小学生に授業』)。 

 主食とおかず、これもいいですね。乾燥した地域と水が豊富な地域という違いもよく分かります。そして日本は「稲作と養蚕」、「お米と魚」の文明に属しますが、現代ではパンとチーズが食生活にすっかり浸透していますし、魚より肉の方が好きな人も多くなっています。

 一つの大陸の中に東と西という二つの極があり、それぞれの自然環境に適応して人間が生活し、宗教が発展したことで、西と東で心身観、自然観などさまざまな面で相違が生じました。

 東と西の間に相当な交流があり、影響を与え合ってきたことも研究されていますが、そこには自分たちにはないもの、違うものを求める心理があったからという面があるように思います。

 しかし、近代を境に東洋、特に日本は大きく変化しました。「東洋の知」を捨てて、「西洋の知」を得ることに邁進してきたのです。

 湯浅泰雄氏によると、深層心理学ユングは「西洋の知は常に自己の外なる世界(ものについての知)へと向かっているのに対して、東洋の知というものは常に、自己の内なる世界へ(心また魂に)向けられてきた」と述べているとのことです。そして湯浅氏は東洋の知について「それは、心身をコントロールし、人間が人間自身を支配し制御してゆく技術知ともいうべきもの」と言います(『宗教と科学の間』)。

 また湯浅氏は別の著書で「東洋では実践を重んじる傾向がつよかったので、哲学は宗教的な修行や医術と結びついた。…東洋の伝統的科学は、…人体(心と身体)の「わざ」としてのテクノロジーを中心にして発達してきた」(『「気」とは何か』)と述べています。

金井先生はこの文章を引いて、「野口整体は、西洋近代の影響を大きく受けつつあった 時代、日本の身体智を元に発達・発展した東洋の伝統的科学なのです。」と述べました。

 先生の言葉の通り、野口整体は近代以後に成立したものではありますが「東洋の知」に根差しています。西洋医学はもちろん西洋の知です。こうした基盤の違いはどのようにして生じたのか、それがどのように野口整体と西洋医学の違いに反映しているのか、ということが、この短い文章に表現されているのです。

 数年前、石川光男先生が熱海の道場にいらっしゃったことがあり、その時この文章を読んで頂いたのですが、金井先生は石川先生に「良く表現されていますね」とお褒めの言葉を頂き、恐縮していました。 

この後、第四章から、活元運動を「思想を通じて理解する」とは という文章が入っており、思想を通じて活元運動を理解することの意義について述べられています。

 ここで「変性意識状態は、その人の人柄や「教養・文化」の差異により、大きく異なって来る」ために活元運動に教養が必要なのであり、思想とは「その人の生き方、社会的行動などに一貫して流れている、基本的な物の見方、考え方」なのです。」と続いています。

 これは、思想理解の如何は活元運動という変性意識下にあっても反映されるということで、信念という以上に体の上で現実になって行くという意です。それが「その人の生き方、社会的行動などに一貫して流れている」ことにつながるのです。

 ついでに、ここに霊動法との関連について補足しておきます。

 明治初期の近代化の中、国家神道に集約されず切り捨てられていった神道(または修験道)に伝わる行法や教えがありました。

 松本道別(ちわき)という人はこうした内容を霊学としてまとめ、野口晴哉先生は10代の頃、この松本氏に師事したのです。そこで霊動法を体験したということです。

 今でも地方の神楽舞などの前に、魂依りなどという秘儀をするところがありますが、これが霊動法に類するもので、古くは神の依り代となる儀礼であり、後に変性意識状態で体が振動することの治療効果を得るための行法ともなりました。

 それを松本道別氏は「人体放射能(気)の発動で自己の霊が動く霊動法」と説いたのです。その後野口先生は、生理学と深層心理学の知見の下に、自然健康保持のための行法として自身の思想とともに「活元運動」を提唱したのです。

 この後、心身分離、そして健康と病気の対立についての問題提起として、以前に取り上げた津田逸男氏(セイタイ・フランス創始)の内容が続きますが、今回はここまでとします。