野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

西洋医学の中のヘブライズムとヘレニズム―禅文化としての野口整体Ⅱ 3

西洋医学の歴史

 今回は3 西洋文明の基にある二元論的精神(15頁)から始めます。

 ここには原発問題からヘレニズムとヘブライズム、そして健康×病気という対立の問題へ、と論文が一本書けるくらいの内容が詰まっています。

 そこで、西洋医学の歴史からこのことについてお話したいと思います。これは未刊の著書上巻第一部第一章からのまとめです。

古代ギリシア・ローマの医学

 西洋医学の歴史は古代ギリシアから始まり、その中でもヒポクラテスは医聖として知られています。ヒポクラテス派の医学は古代ギリシアの主流となりました。

 その600年後、帝政ローマ時代の医師ガレノスは、ヒポクラテスが倫理的・哲学的意味で讃えられるのに比し、実質的な西洋医学の祖と考えられています。

 ガレノスはヒポクラテス医学には見られなかった医学の理論構築との体系化(ギリシアの主流であるプラトン哲学ではなく、アリストテレス哲学を基礎とした)を行い、古代エジプト起源の解剖学を医学に統合したのです。

 臨床面でも、内科的で薬の処方は最小限であったヒポクラテス医学に比し、ガレノスは動物解剖と外科手術を行い、薬物療法でも多種類の薬を併用したのです。

 ガレノスが解剖学を重視したことは西洋医学の方向性を決定づける大きな出来事でした。

ローマ帝国からイスラム圏へ

 その後、ローマ帝国キリスト教が国教化され、西と東に分裂が起こると、西側ではギリシア(ヘレニズム)の知が失われ、東ローマ帝国で継承されていくことになりました。

 そして、イスラム教ではアリストテレス哲学を神学の基礎としていたこともあり、ガレノス医学はイスラム圏で継承・発展し、中国やインド医学の影響を受け「イスラム医学」が発展していったのです。

 当時、イスラム圏では化学や工学、灌漑技術などさまざまなが科学技術が発展し、村上陽一郎氏(科学史)は、当時のアラビア科学は「いかなる知識が自然支配の力を与えるか」という近代科学に通じる基点に立っていたと述べています。

 そして、キリスト教の「神の自然支配」と「神の似像である人間の理性による自然把握」という教義と結びつき、後に西欧近代科学の「人間の手による自然支配」という思想に影響を与えた、と指摘しています。

 キリスト教徒とイスラム教は「ヘブライズム」という旧約聖書などにみられる古代イスラエル民族の文化・思想を基盤として共有しています。仲の悪い兄弟のようなものですね。

中世から近代初頭のヨーロッパ

 その後、カトリック圏はイスラム圏の高度な文明を積極的に取り入れる姿勢に転じ、西側で廃れていたガレノス医学はイスラム圏から再導入されていきました。

 中世のヨーロッパでは、ガレノス医学が教会の認めた正統医学として最高の権威をもつようになりましたが、医療と言うより文献研究や神学的考究という「理論」としての役割がほとんどで、実際の治療という臨床面の発達はあまり進まず、解剖も行われませんでした。

 現在の大学の学問の基盤は「物理学(近代科学的手法による知)」ですが、当時の大学での学問の基盤はキリスト教神学で、神学に合致することが「正しい」ことだったのです。

 さらに、医師の目で観察した実際的な知見よりガレノスの著書にある内容を正しいとし、権威主義に陥っていったのです。

 中世ヨーロッパは戦争と伝染病(ペストなど)に苦しんだ時代で、何の手立ても持たない大学出の医師の権威は失墜しました。こうした経緯から、解剖学を自身の手で行い、自身の目で観察することの重要性に気づいたヴェサリウスなどによって、西洋医学は独自の道を歩むようになりました。

 その後、ハーヴィの血液循環論(イスラム医学にはすでにこの考えがあったがガレノス医学にはなかった)が科学的手法で人間の体を研究する端緒となりました。

 そして産業革命に入ると、工場労働者を管理する必要性から、患者ではなく病気のみを診る「病気中心医学」が始まり、細菌学などの発達により西洋医学は科学的な方向へと発達していったのです。

 

 野口先生は「西洋医学は死体解剖学を基礎としている」ことから、「体をものとして見るようになった」と言います。それは近代以前からの西洋の伝統に根ざす見方なのです(中国にも解剖を行う医学派はあったが、廃れてしまった)。

 本当に駆け足でしたが、ヘブライズムとヘレニズム、そして近代科学と近代西洋医学が、いかに密接なものか医療史から端的に伺えるかと思います。