鈴木大拙と現代―後科学の禅・野口整体 番外編
昨日、岩波書店のHPで、落合陽一氏(メディアアーティスト・筑波大准教授)という30代前半の研究者が書いた『禅と日本文化』(鈴木大拙)の書評(「図書」掲載)を読みました。
落合氏は「僕が計算機と自然の間に存在する美的感覚を近著の『デジタルネイチャー』で侘と寂で表現したのもこの新書からの多大な影響がある。」と述べています。
ついでに氏の著書『デジタルネイチャー―生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(PLANETS 2018年)のまえがき(web無料公開)を読んでみると、そこにあったのは「近代の超克」という言葉。
超克とはどういうことかについては、金井先生とは違う見解ですが、落合氏は「現代は未だ近代である」という認識で、共通していました。
(ちなみに落合氏は「3年前は熱海の人里離れた山奥の旅館で『魔法の世紀(前著)』を脱稿した。」とも述べており、これにもびっくり!)
野口整体とは違う立場ではありますが、こういう思想問題を取り上げる若い研究者がいて、しかも、落合氏は今、最もエッジな思想を展開しているのだそうですから、金井先生もびっくり!というところでしょう。