野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

5月8日は目的論の日―中村天風師の心身統一道(風邪の効用14)

 中村天風師の天風哲学と金井先生

 今回から、中村天風師が説いた天風哲学に入ろうと思います。

 金井先生が天風哲学に出会ったのは、野口晴哉先生が亡くなった後数年後の事でした。野口先生が亡くなった当時、先生はまだ28歳でしたから、精神的な導きというか、父性的人物像を求めていたという話を聞いたことがあります。

 中村天風師は、自身の治癒体験を基に「「無心」と「心身統一」がなされなければ、生命を支える宇宙エネルギーを受け入れる「受け入れ態勢」が完全に用意されない」と説く、心身統一道という思想と行法を指導した人です(詳細はリンク先をご覧ください)。最近では大谷翔平選手がメジャーに行く前、中村天風著『運命を拓く』を読んでいたそうです(リンク先をご覧ください)。

 金井先生はその頃のことを次のように述べています。

 私が初めて天風哲学に出会ったのは、一九八〇年代初めのことです。この時、野口整体に近似する思想内容に大いに心が高まったのを覚えています。

 師野口晴哉を一九七六年に亡くし、独りでこの道を歩んでいた(師亡き後、就いていく存在がなかった)私は、師と「同質の心」を説いた人物が他にもいたことに、この当時、大きな援護を受けた気持ちになったことを思い出します。

「真理」というものの普遍性を感じることができ、大いに力強い念(おも)いを持つことができたのです。

・・・私がこの道に入った当時(一九六七年)、師野口晴哉自ら「ここは×違い部落です」と言っていたように、科学教の時代であり西洋医学全盛のあの時代、師の思想を良く理解する人は少なかったのです。当時は、「整体」というと体のことのみで、一般的に、野口整体の世界観を深く理解する人は極めて少数でした。

・・・師亡き後、私が整体協会を出て数年後、師の遺した教えと自分だけという世界に過ごしていた時期に天風哲学を知り、社会の指導者層が野口整体と同質の世界観を理解していたこと(註)で、大いなるものと繋がることができたと感じ、私の孤独感は大きく変化したのです。

 この時の、私と天風哲学との出会い、それは、「格調高い意識を明確に説く思想」との出会いというものでした。

(註)1919年から心身統一法を説き始めた中村天風師の下では、昭和天皇東郷平八郎原敬松下幸之助双葉山宇野千代稲盛和夫長嶋茂雄氏などが教えを受けた。

 

 以前、野口先生が整体協会の徽章のデザインを決める時、「闇夜に月」をモチーフにしたことについて書きましたが、野口先生が「月」だとすると中村天風師は「太陽」に喩えられるかと思います。

 野口先生は潜在意識教育、天風師は観念要素の更改という言葉で、意識以前の心のあり方を説きましたが、それを明らかにしていく光の性質が違うのですね。

 そして金井先生は、2010年に再び天風哲学を振り返り、指導を受ける人のための会報としてその内容をまとめることになりました。金井先生は次のように続けています。

 

 そして2008年4月以来、科学哲学に取り組んで約二年後、改めて「天風哲学」に取り組んだのですが、当会会報(№51)が完成した2010年5月8日の朝、直観がありました。

 それは、私が初出版(2004年6月22日)直後からこの時までの六年間、会報Ⅰから続けて来た執筆活動のすべては、「目的論」という言葉が意味するところを伝えるためだったと、深く気づいたのです。

 そして、初出版以後、会報を作り続けてきた私としての意味をつくづく感じることができました。

・・・特に2008年4月以来、私が関係する諸学を学んできたのは、この目的論という思想を掴むためだったのです。それは、さながら富士山の樹海を歩き、樹林帯を越えて頂上を目指す登山のようでした。

「あらたに直観した」と言っていいのでしょうか。

 それは、江戸時代までの日本人の生命観は、意識しない目的論であったということです。明治になっての近代科学導入以後、機械論によって見失った日本人の目的論的生命観を、「後科学の禅」として復活させたのが、中村天風師や師野口晴哉だったのです。

・・・最近、カレンダーを遡(さかのぼ)って調べてみましたら、2006年に春秋社から依頼を受けた日が、何と、同じ5月8日だったのです。 

 そういうわけで、今日、5月8日は金井先生にとって特別な日となりました。

 東洋に伝わる身体行の伝統は、「人間の潜在的な本性がわれわれにとって自然な生き方を示すはたらき」=無意識の目的論的機能を自覚し活動させることを目的としていました。

 東洋ではそれが人の生きる道であり、それを踏み外した時、心や体の病、人生上の問題が起きると考えていたのです。

 金井先生はユングの目的論的な無意識理解について次のように述べています。

 ユングの言う目的論的機能という、このような無意識の働きに対する「理解と信頼」は、師野口晴哉の講義を通じて、私の潜在意識に根付いていました。それで私は、修行をすることで「無意識を拓く」ことを、自身のうちで目的とするようになっていたのです(それは、無意識的に、そして意識的に瞑想行を行ってきた)。

 こうして、私なりに無意識を開いたことで、無意識の目的論的機能に対する信頼を持つことができるのです。

 金井先生の説く目的論は、「修行とは何か」を説くことに主眼があったのです。長くなりましたので、今回はここまでとします。