(補)心と体をひとつに
生命を正しく扱うとは
作家の故・宇野千代氏は執筆に行き詰まった時、天風師の指導を仰ぎ、執筆活動を復活させました。宇野氏がまとめた『天風先生座談』から、かつて結核を病んでいた天風師がインドのカリアッパ師から教わった大切なことについての文章を紹介します。
三
人間というものが、この世の中に生きていくのに、何をおいても、心と体を別々に考えたら駄目だぞ。文明民族の一番悲しいミステークは、生命を考えるときに、いつでも体のことばかりを考えている。
体のことさえ考えていれば、人間というものは、満足な人生を生きられる、というような、その大きな粗忽(そこつ)を、少しも粗忽でない、真理であるかのように思い違いしているところに、文明民族の不幸があるんだ。
…彼らの多くは、すぐ目に見える物質だけを、人生を解決し得るものであるかのように考えて、肝心かなめの心というものを、いつもないがしろにしている。それがために、当然、心と体を一つにまとめるという大事なことに気がつかない、というより、むしろ、まったく、忘れている。そこに第一番にお前は気がつかなければ駄目だ。それがお前の忘れている大事なことだ。
(ここまでカリアッパ師の言葉)
なるほど。しかし、いままでまんざらいっぺんも聞かない話ではないのであります。バイブルにも経典にも、またマホメットの作った回教のコーランにも、言葉の言い回しは違っておりまするけれども、人間が人生に生きるのに忘れてならないことは、その生命を考える場合に、心と体を別々に考えてはいけない、というのは、そのどれにも出ています。
しかし経典やバイブルを読んだとき、いまインドで教わったときのような、強い衝撃は受けなかった。ただ、眼に見たままで読み過ぎてしまった、というだけのことであったから、それほど深く感動したわけではない。
その同じ事柄が、あらためて、「お前の病いが、文明民族の人の病いを治す医学というものでは治らないのは、そこに理由がある。どんな医学をもってきても、生命を正しく扱わないものは、その生命を護ってゆく力がないぞ。」と言われたとき、愕然としたのです。
天風師は、インドに行ってしばらくの間、何も教えてもらえませんでした。カリアッパ師にその理由を問うと、師は「お前の頭の中には、今までの役にも立たない屁理屈がいっぱい詰っている以上、いくら俺が尊いことを言ってみても、それをお前は無条件に受け取れるか。」(『天風先生座談』)と言ったそうです。
これまで自分はいつも相手の言葉を批判的に(かつ客観的に)聞いていた、傲慢な自惚れが潜在意識にあったのだと気づいた後に教えてもらったのがこの「体と心をひとつに」という普遍的なことだったのです。
そしてカリアッパ師は、自分の心の態度に気づいた天風師に「赤ん坊のようになって来いよ」と言ったとのことです。金井先生は、受け入れる態勢がなければ、真理は受け取ることができない、その受け入れ態勢が「無心・天心」というものだと述べています。