野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

主体性の目覚めが身体を変える―風邪の効用 20

一 科学と主体性を失った現代人の身心― 身心一如の主体性を育む個人指導

  今回から、長く金井先生の個人指導を受けていた女性の指導例を中心とした下巻第五章 主体性の目覚めが身体を変える―身体に観る「個性化の過程」に入ります。

 この章には、本人に書いていただいた文章も多く収録されており、非常に良い内容で紹介したいのはやまやまなのですが、今回ブログ引用は遠慮させて頂き、金井先生の書いた部分の紹介とさせて頂きたいと思います。

 また、この章はこの世で一度限り、再現不能かつ言語化不能な領域に関わる内容を含みます。金井流個人指導はすべてそうだと言えるのですが、科学的ではない個人的体験として(安易に一般化をせず)

ご理解ください。

では、長くなりますが、一からの引用です。

 

1 日本の伝統文化「道」から生まれた野口整体

・・・完全な、と言ってよいほど「身心一元論」である野口整体の立場からは、いかにも現代人は、身体感覚の無さからか、かつて「腰・肚」文化が共有されていた時代に比し、「統一体」というものからは遠い「身心」の状態にあります。

・・・敗戦(一九四五年)による「信念の喪失」と戦後社会の著しい高度科学化は、日本における「東洋宗教」文化の衰退、とりわけ「道」の喪失、そして「近代科学」一辺倒の社会のあり方(そして教育)を招きました。

 このような戦後社会の風潮により、現代日本人は近代科学の影響を色濃く受け、そして、日本人を支えてきた東洋宗教の意義を理解することができなくなっています(両者は「理性と身体性」という相違)。

近代科学というものの性質を知り、その影響を自ら自覚することを通して、東洋宗教性を新たに理解することを、野口整体に関心を持つ全ての人に対して、私は是非にも奨めるものです。

・・・野口整体は「感受性を高度ならしむる」ことを目標とし、「開放系」として人世(じんせい)を生きる(註)ことを目的としますが、これは、あなたの世界観の変化を通じて為せることなのです。

(註)これは、野口整体の「全生」であり、ユング心理学の「自己実現」。 

2 科学(機械論)的生命観による「客観的身体」

・・・肉体に起こっている症状だけを病理学的に理解し、生活している心との関係性(つながり)を持とうとしない、科学的な観方による体を「客観的身体」と言います。

 心身二元論(近代科学の思想的枠組み)では、「精神」とは理性であり、「理性」こそ、神が人間のみに与えた精神的働きとして重要なもの(=魂)と考えられました。

 さらに、「理性」という精神が「私」であり、私は「頭」にあって、その持ち物が体で、これが時々壊れたり、「私(精神)」の言うことを聞かなくなる、というのが「心身二元論」というものです。こういう体の捉え方が、科学的「機械論」というものなのです。

 近代西洋医学では、このような機械論的生命観による「客観的身体」のみを対象としてきたため、患者が「自らの身体にどのようなことが起こっているか(註)」を、主体的に受け止める力(=自分の心のはたらき・感情がどのように身体に関与したかを考えること)を育むという視点は皆無でした。

 医師が病状を「体の持ち主の感情を切り離して、客観的に観察する」ことは、患者のこのような「非主体性」を生み出し、患者の内面でも、病症と自分自身を切断して行ったのです。

(註)心身二元論では、「感情」は体という物質に属すものとして

「私」から除外され、精神という「意識」に対し、「無意識」である体は私ではなく、「理性」だけが心=私となった。

 

 西洋医療による影響のみならず、戦後の学校教育では、すべて科学的な勉強ですから、科学的思考に伴う分離を促すという性質(=客観性)から、無意識的に、ますます自分の体を「客観的身体」として捉えるようになり、人間の心の「全体性」が失われる傾向が強いのです。

 科学には主体性を育む教育がなく、こうして、「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」のであり、それ以前、日本人は「体」で生きていたのです(戦後の歴史で、東京オリンピック(一九六四年)以前と以後で、日本人の身体が大きく変わった)。

 このように、科学的な現代では多くの人が「要求・魂」というものに気付くまでは、「客観的身体」状態にあると言うことができます。これが今日の若者の「主観」の未熟さや「主体性」の無さという問題に発展しているのです。

 第五章で説く目的論は、心身相関的に、心との関係を考えた上で、体に起きている現象の意味を考えるものです。

 機械論による「客観的身体」に対して、野口整体の指導を通じて目指す身体は、目的論による「主体的身体」と呼ぶべきもので、「自分の健康は自分で保つ」ことを教育目標としています。これは、本人の意識(感覚・思考・感情)が無意識(要求・魂)と身体上で統合されている(=統一体)、というものです。

 このために、その人自身が、「身体感覚」の発達によって〔身体〕にどういうことが起こっているかを理解し、主体的に受け止めることができる力=「主体性」を、育むのが個人指導なのです。