「個性化の過程」を〔身体〕に観た―風邪の効用 23
腰椎三番が目覚めた身体と生き方の変化
Nさんは公開講座の後も個人指導を続け、その一年後(2010年2月13日の個人指導)で、変化の時を迎えました。
その時のことを、金井先生は次のように述べています。
さらに心のはたらきが出てきたこの時、Nさんの身体がこれまでとまったく違うことがありました。その身体の違いとは、腰椎の変化に象徴されるものです。
この時私は、本来の中心である腰椎三番が活性化している〔身体〕が醸し出す「気」の違いに深く感じ入り、神妙(人知を超えた不思議なこと。霊妙)な気持ちとなり「どのようなことがあったのか」と、尋ねてみました。
すると彼女は、「先生がそう言われるなら、それはこのようなことからだと思います。」と、事情を話し始めました。
それは次のようなものです。
彼女は今の会社に勤め始めた後、ずっと転職を考えていながら、行動に移すことができずにいたのですが、この日の指導の二カ月ほど前から仕事を探し始め、「人道支援関連の仕事」という分野に入ろうと、心が大きく動いたとのことです。
そしてその後(今回の指導を受ける少し前)、彼女は風邪を引き、高い熱が出た後、すっと気持ちがまとまり、「今の仕事を辞めよう」と決心した(註)とのことです。そして、ある人道支援団体の採用試験を受けることを決めたというのです。
(註)優柔不断さ、また決心も、腰椎三番の状態と一つ。
この指導時、「今、身体をどのように感じていますか」と尋ねますと、「頭がスースーしていて、お腹で力が渦を巻いている感じがします」と答えていました。これは、自我が自己からの声を受け取り、「無意識」に潜在していたエネルギーが活動している状態です。
本気で物事に取り組む時、〔身体〕は「腰が中心となる」のです(=本気の発動)。
これまでこの人は、「要求に沿って行動する」という「身心」になっていなかったのですが、先のような空想を抱き、決心し行動することは、そのままが〔身体〕の現実となるのです。
このような高潔な使命感を持った時には、「魂がはたらきだすとはこういうことか!霊性の萌芽か!?(註)」と、私が改めて感動したほどのものなのです(これが神妙の意)。
野口整体で言う「要求」というものは、このように、生理的要求から霊性のはたらきまで幅が広いものです。
私は今では、師野口晴哉の語った「要求」とは、無意識の持つ目的論的機能を遂行するものであると言うことができます。
「要求」を生きる、というのは、「自分のやりたいことが天(神)の命ずること」となるよう、自分を磨くことと言ってよいでしょう。
「整体=体が整っている」とは、究極的にこのようなことを目的としているのです。
この後、人道支援の方向に進むことはありませんでしたが、Nさんは、高校生の時、人道支援の仕事に就きたいと思ったことがあったのだそうです。自分の内面に注意を向け、次第に心の中が明瞭になってきたことで、昔の要求が蘇ったのだとNさんは述懐しています。
そしてNさんは会社を辞め、Nさん本来の興味の方向に沿った映画の配給会社に入ることになりました。
指導を受け始めて四年を経て、Nさんは「主体的に生きる」道を歩み始めたのです。
湯浅泰雄氏は、近代的な人間形成の問題点と、現代における東洋思想の意味について、次のように述べています(『気・修行・身体』はじめに 平河出版社)。
健康・心の治療・死
発達心理学的にみても、幼児の頃は自我意識が未発達で、むしろ無意識という母体の中にまだただよっている状態です。
そこからだんだん外界に適応して自我というものが形成されていくわけですが、近代では、外界に対する適応と心身のコントロールばかり考えて、内面的な情動や無意識の世界に対する適応と心身のコントロールということの必要をまったく無視してきた。そこに現代病としてのノイローゼなどが流行してきた原因がある。
ユングは、人間は広大な外界とともに広大な内界という二つの世界に直面している存在だと言っていますが、そういう点からいえば、外界に対する適応という問題ばかりでなく、内なる世界に対する適応について考える必要が出てくる。
それはつまり、外界に対する人格の統合中心である自我意識だけでなく、内向的世界に新しい人格の統合中心を求めて行くことだといってもいいと思います。
東洋思想の伝統では、医学的な治療の問題は、各種の健康法や心身の訓練法としての修行の問題とそのままつながっている。そして修行は要するに、人格の形成ということであり、究極的には宗教的覚醒という次元にまでつながっていく。それが人格の新しい統合中心を求めていく、ということであると思います。
心理療法でいうセルフ(ユング心理学での「自己」)などというのは、そういう古くからの考え方を近代的に言いかえたようなもので、人間形成という観点からみれば、医学、心理学、宗教という問題領域は、元来一つにつながっているものだろうと思いますね。
今回はここまでです。次回は第五章の括りとなるので、最初から金井先生の文章で始めます。