野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

病症経過と身心の成長―風邪の効用 24

病症経過と身心の成長 

(金井)

 西洋医学では、体に起きてきた病症というものを、正常と異常という二分法(二元論)で捉え、症状が無くなれば正常(=健康を取り戻した)という考え方です。

 野口整体では、病症を肯定的に捉え、病症を経過することで体が治るというだけでなく、さらには「成長」することをも観ているのです。

 そして機械論は、心との関係を考えない心身分離的な体の見方をしますが、目的論は、心身相関的に心との関係を考えた上で、体に起きている現象の意味(なぜ)を考えるものです。

自然治癒力」というと、「毀れたものが元に戻る」ということのみを想像する人も多いかもしれません。

 しかし、私の意味する「治癒」とは、「病気の意味」を深く理解することで、裡なる自然とのつながりを取り戻し、乗り越える力を得る、あるいは生き方や価値観が変わるということをも含むものなのです。

 

 西洋近代文明は、「理性」の発達による「客観的」思考 ―視覚の特化による意識の発達 ― によって「科学」が発展したものです。

 東洋では、西洋のように人間が「自然の外へ出てしまって」、物を対象化して観察するということがなく、それで視覚を特化させる意識のありようはなく、「科学」が発達しなかったのです(また、諸感覚の中で、触覚を使わないことは「客観的」思考が発達する)。

 東洋宗教の世界観には「目的論」が背景に在ったということです。西洋では近代合理主義(理性至上主義とも呼ばれる)哲学が興って以来、「理性」の発達により、人間の意識が無意識から離れる傾向を強めてきました。言い方を変えると、価値観を頭で作り過ぎてしまったのです。

 師野口晴哉の教えは「無意識を拓く ― 無意識の根底に潜在している本性を自覚する」というもので、そこには、「目的論」が潜んでいました。

 西洋文明は「近代科学」によるものであり、東洋文明は「東洋宗教」によるものと一応分けることができます。

 湯浅泰雄氏は、近代科学の因果性に対してユングが主張した「共時性」という考え方が目的論的観方であると、次のように説明しています(『共時性の宇宙観』)。

 

因果性と目的論

 ユングは近代科学の大前提になっている因果性の原理に対して、共時性という新しい観方を主張したのですが、これは自然について一種の目的論的な観方を取ったものともいえるでしょう。

 まず、人間についての見方ですが、心身関係に即してわかりやすくいうと、身体が自然治癒力をそなえているように、無意識の内部には心の自然治癒力といえるような働きがそなわっているという考え方です。

 例えば、神経症の人の見る夢には、実は、それを治すような方向に、無意識が警戒信号を発しているという考え方です。その警戒信号が、夢とかいろいろな形で現れてくるという訳です。

 そういう意味で、無意識自体が本来目的論的な性格をそなえている。人間の生き方として、ゆがんだ方向にいっている場合に、それに対して無意識が警戒信号を出す。無意識の中には、生きるための本当の価値なり目的なりを目指す働きがそなわっていて、意識を背後から動かしている。

 だから、それを発見し、それ(裡の要求)にしたがっていけばいいということになります。もともと無意識の中にはそういうふうな目的論的機能がそなわっているのだ、というのがユングの考え方です。

 私たちは、自分の人生について、時として自分はいったい何のために生きているのだろうかと思うことがあります。

「何のために」というのは「どんな目的のために」ということです。そういう生の目的への問いかけに答えるのが自己の無意識から呼びかけてくる「声」である、とユングは考えます。

 目的論的機能などというと難しく聞こえますが、それは人間の潜在的な本性がわれわれにとって自然な生き方を示すはたらきを言います。そういう見方は、たとえば仏教で人間にはすべて清らかな「仏性」がそなわっているというような考え方に通じます。

そこに潜在している働きが活動をはじめると、心身関係のレベルでは健康を回復し促進するような働きを示してくるということです。

ユングが東洋宗教の修行法に興味をもった理由はそこにあります。それは無意識の根底に潜在している本性を自覚し、それが活動しはじめるようにする訓練なのです。 

「整体」とは、持てる力を十全に発揮できる状態を意味しています。どのような力が潜在しているかは、発揮できて初めて自覚できるものです。

 目的論的機能が十分に現れるには、浄化が必要で、潜在意識をクリーニングすること(天風哲学の観念要素の更改)で、無意識にあるこのような「仏性」(1に述べたNさんの要求)が自覚されるのです。

 いつ、どのような力を自身に見いだすことができるか、というために「整体を保つ」という覚悟を持つことです。

 初めは、身心の異常を治して正常な状態になるべく、受動的に個人指導を求めたとしても、後には、心のはたらきを現在よりも強め、もっと向上させていく「修行」という考え方を持つことが、野口整体の整体指導(個人指導、活元運動)を継続していく上で肝要なことです。

 野口整体の個人指導は「無意識の根底に潜在している本性を自覚」せしめるものであり、活元運動は、湯浅氏が「それが活動しはじめるようにする訓練」と説く、東洋宗教の修行法なのです。

 野口整体の指導では、「病気」を観ているのではなく、病気をしている人の「身体」と、病気をしている人の「精神」を、一つのものとして、その〔身体〕を観ているのです。

 師野口晴哉から伝えられた「無意識=生命」への信頼があったればこそです。

 精神と身体の統合、意識と無意識の統合、これが進めば、目的論的機能が発揮されるということなのです。これは、あなたの世界観の変化を通じて為せることなのです。