(補)野口整体の原点にある「抵抗力の発揮」―2009年春期公開講座教材『科学と宗教』より
(金井)
野口晴哉先生は、昭和元年頃(当時一五歳)道場を開きました。その数年後、「健康と心の関係」について次のように述べています。
(註)『野口晴哉著作全集 第一巻』(養生編 昭和5~6年)より。原文は旧仮名遣い
全生論
全生について
全生――生を全うするの道を示すものである。
・・・生を全うするの道は健体を創造し彊心(きょうしん)を保持して、之を活用することである。
疾病と全生
・・・予は全生道を主張し、以て之を自覚せしめ、以て病苦をこの世から去らしめんとするものである。
病を理解せよ、理解は確信を生じ、確信は安心を生む。病の恐るべきに非ざることをはっきりと自覚せよ。然らば病苦、汝を去りて再び近寄ることなし。安心の前には苦悩なし。
誤りたる医学医術が、昭和の時代に横行し、国民の病苦煩悩をいやが上にも深めつつある。之真に憂うべきことである。
乞う諸君よ、力を併せて全生道を普及し、国民の病苦を去らしめようではないか。病恐るべしと盲信し、恐病の念に駆られている現代人の心胸から、病恐るべきに非ずという自覚と信念とを喚び起そうではないか。
・・・恐怖憂慮による精神委縮ほど、抵抗作用を衰退せしめるものはない。
然らば結核恐るべきか、恐怖恐るべきか。余りに恐怖し悲観したから、自然治癒しなかったのである。之は結核恐るべし不治の病也と教えた医学の罪か、之を盲信したる世人の罪か、何れにしても甚だ面白からざることではないか。
コレラにしても、赤痢にしても同じことで、恐れるから伝染するのではあるまいか、所謂、発病せぬ保菌者のあるのは如何なる訳か、傷口から黴菌が入り、生水を飲めばチブスになると云うが、果たして然るか、抵抗作用が不足するから、罹病するのではあるまいか。
然らば病菌恐ろしさに行ふ所謂消毒なるものも、果してどれほどの効果があるであろうか。その大部分は「消毒したから」という心の信の功に過ぎぬのではあるまいか。
・・・医家諸君よ、病菌研究は一、二の篤志家に委せて、之を廃止せられては如何、貴下等の研究が如何に多くの人の苦悩を深め、精神的に如何に多くの人を殺したるかを悟られよ。
病菌恐るべしと宣伝することを止めて、人体には抵抗作用具わるといふことを以て、之に代えたなら、罹病者の数は半減するであらう。而して抵抗作用を旺盛ならしめる工夫をして頂きたい。
空中地上、到る処に充満している病菌を完全に防衛するには、抵抗力を旺盛ならしむるの他に途はない。之医界の緊急事項である。
予防に薬、治療に薬、クスリ、クスリと、薬物を万能視して毫も身体の抵抗力を重んじない、その結果は廃動萎縮の原理によりて、体力は日に日に衰退に傾く。
万病は抵抗力の不足によりて罹(かか)り、抵抗力の充実によりて自然治癒する。万病は一因より生ず。