野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

人間の自然と病症ー気の思想と目的論的生命観 11

「おのづから癒る」を待つという「受動性」と、持てる力の行使という「能動性」

  今回から、以前にも本ブログでからだ言葉についての内容で登場した、立川昭二氏の『養生訓に学ぶ』を使った内容に入ります。これも下巻第七章に収録されています。

 次は、2009年頃、会報作りの際に書かれた「養生」について述べている金井先生の文章です。

(金井)

 野口晴哉先生が亡くなられる前「これからは気の時代に入ります」と言われ、以後30年余を経過しました。そして、11年前の満50歳になった折(一九九八年二月)、「気・自然健康保持会」と名乗り、私として社会的に立ち上がるようになりました。

 翌年にはホームページを立ち上げ、2004年には念願の初出版となり、これらを通じてある程度社会的認知が進んだこともありますが、ここ十年程は、とみに私のまわりが変わってきていることを痛感しています。

 それは「野口整体が求められている」、「私としてできるだけのことをしなければならない、したい」という思いなのです。

 私がこれまで、野口整体を伝える困難さを感じてきた二つの面があります。

 一つはプロを目指す人に対して、もう一つは一般の人に対するものです。しかし実は、すべての人に当てはまる問題として「養生」というものの衰退、また喪失が原因としてあったのです。

 明治になり、江戸時代までの養生論から近代医学による衛生論に変わったのですが、近代医療の現状は一般の人々の需要を満たすものではありませんでした。

 日本における近代化は日本人から「身」というものを奪い、それを精神と身体、いや私の言葉では精神と肉体に分離させたのです。

 

 今回から取り上げる『養生訓に学ぶ』は、病症観、生命観についてです。近代化以前、日本人はどのような病症観、生命観に基づき生きていたかを学んでいきましょう。

 

(金井)

江戸時代までの伝統医療と、近代医学の違いは「病症観」に顕著に表れています。そして、野口整体の思想を理解する上でも「病症をどう観るか」は核心となる主題です。

①内なる自然への信頼と自然治癒力に対する信念

医聖ヒポクラテスと共通する益軒の思想

 立川昭二氏は江戸時代の気の医学、貝原益軒の『養生訓』の病症観について次のように述べています(『養生訓に学ぶ』)。

(註)貝原益軒(1630年~1714「年)の『養生訓』江戸時代の本草学(薬学)者、儒学者福岡藩士。1713年世に出た『養生訓』は、益軒が八十四歳の時(死の前年)「養生」について纏めた著作で、江戸時代に出版された数ある本の中でおそらくロングセラー第一位の書物。

 

「おのづから癒る」

『養生訓』の根底を流れる思想として、最後にあげなければならないのは自然治癒力への信頼ということである。

…薬をのまずして、おのずからいゆる病多し。是をしらで、みだりに薬を用(もちい)て、薬にあてられて病をまし、食をさまたげ、久しくいゑずして、死に至るも亦(また)多し。薬を用る事つつしむべし。

   益軒は薬学の道を究めていただけに、薬のことを説くにあたって一番留意したことは、「みだりに薬を用いるな」ということであった。…その真意は「保養をよく慎み、薬を用ひずして、病のおのづから癒るを待つべし」というところにあった。

…この「おのづから癒る」ということばにみられるのは、からだの内なる自然への信頼、自然治癒力あるいは自己回復力に対する確固とした信念である。自分のからだは自分で守り、病気も自然に癒す、という確信である。

 ここには、私たち現代人のように自分の健康や病気を安易に医薬や病院に依存するという考えはない。過剰な医療をさけ、急がず時を待つ、という考えである。

 今日では自然治癒力というと医療の放棄と受け取られがちであるが、そうではなく、人間の体にもともとそなわっている癒える自然の力を活かすということである。

 この自然はもとより景観としての自然ではない。また英語でいうネイチャー(nature)(人工物でないもの)でもない。あえていえばギリシア語でいうヒュシス(physis)の自然にあたる。

 ギリシアといえば、医学の父といわれる古代ギリシアヒポクラテス(註)は『流行病』(六‐五)で、「病気は自然が癒してくれる。自然は、癒すてだてを自力でみつける」と言っている。

…からだの自然を自律的な動きとしてとらえるヒポクラテスは、自然を他者によりかかり、要求するものとは考えない。その自然の経過に応じてその人の内なるいきおいが発揮できるように、そのいきおいと技術とで対処していくことが、自然にそう医療であり、からだの中の自然の働きを回復することが健康法そして医療であった。

 こうした考えは、病いは「おのづから癒る」という益軒の考えと根本に重なりあうのである。

 (註)ヒポクラテス(紀元前460年~紀元前377年)

古代ギリシアの医者。身体にはもともと健康になろうとするPhysis(自然の力)があり、医者はそれを助けるのが責務であるとした。病気は自然の経過と考え、医術はこれを助ける技術であると考え、人の身体に備わる自然の力と身体の環境との関わりを重要視した。