伝統的養生と近代医学との相違―気の思想と目的論的生命観15
健康と人生の質を統合する生命の智・養生
今回も、立川昭二氏の『養生訓に学ぶ』からの内容です。健康とは医療に管理してもらわなければならないもので、体のことは自分ではどうしようもない・・・と思う人が多いのが現代ですが、野口整体の理念は「自分の健康は自分で保つ」にあります。
このことが人生にどのように関わるか・・・という点を考えつつ、読み進めてください。
『養生訓に学ぶ』
「天命を楽んで身ををはるべし」
…江戸時代の日本人の平均寿命はきわめて低かった。寺院の過去帳や人別帳から推定すると、江戸後期の平均死亡年齢は男女とも四十歳前後であった。
こうした死亡年齢の低さは乳幼児の死亡率の異常な高さによるものであり、五十歳以上の平均死亡年齢は七十歳代と推定され、今日とあまりひらきはない。
西鶴や芭蕉は「人生五十」であったが、江戸時代にも八十五歳まで生きた貝原益軒と同じ長寿者はかなり存在していた。(中略)
人の身は百年を以て期とす。(中略)短命なるは生れ付(つき)て短きにはあらず。十人に九人は皆みづからそこなへるなり。こゝを以(もって)、人皆養生の術なくんばあるべからず。
(人のからだは百年を寿命とする。短命なのは生まれつき短いのではない。十人中九人は自分で自分の健康を損なってしまうのだ。このことを以て、人は皆、養生の術なしで生きるべきではないというのである。)
今日の日本人は世界第一の長寿国として「人生八十」の時代を迎えた。このことは日本人の人生観を大きく変えたが、それはまた「いのち観」にも深い影響をおよぼした。
とりわけ高度医療が生命の延長にめざましい成果を果たしているのを見聞きしている私たちは、知らず知らずのうちに寿命というものを医療と直接むすびつけて考えるならわしになってしまった。
つまり病気や老化によって死を迎えることは今も昔も変わりないが、人の死はその病気や老化をうまく医療で防ぎ救うことができなかった結果であるとのみ考えるようになった。「手遅れ」という言い方があるが、もっと長生きできたのに手遅れで「寿命をちぢめた」と考える。
・・・『養生訓』には、こうした「いのちへの畏敬」というコスモロジー(宇宙観)が、しっかりとその根底を貫いていたのである。
(金井)
野口整体では、病症を体の「要求」と捉え、自然経過することを通して、自身の身体を整えていきます。「整体」に進むと、「裡の要求」に沿った生活を求めるようになりますから、これまでの生活を改めたくなってもきます。「身体のありようと生活」は心の「内と外」ですから、内が整わなければ外側も整ってこないのです。これが成長の道筋なのです。
デカルトに始まった近代合理主義は、意識を感情や無意識から切り離し「理性」を発達させてきました。これにより客観性を重視する自然科学は発達したのですが、科学的自然観が心の深層にある「無意識の問題」を無視して発展してきたことにより、社会に神経症や精神病という心の病気が広がってきたのです。
これに対処する必要から生まれてきた実際的な研究がフロイトやユングによってなされたのでした。日本では師野口晴哉が、最も近代医学が発達した時代に野口整体の体系を築いたのです。
科学である近代医学は外に目を向ける ―― 人体構造上の物質に着目して機能を論ずる ―― ものですが、東洋思想である「養生」は内に目を向けていくものです。
科学教育で学んだ現代人は、学校で自分の「心のはたらき」とは関係のないもの ― 科学的知識 ― によって評価されてきました。それで自分の心も分からず、またその力を使うこともできないのです。
成人(一応肉体として一人前)になってからも成長(精神的に)するということは、自分の中にある力、自分にしかないはたらきを、自分の世界において使っていくということです(これが「自己実現」なのです)。
このためには内面に存在する自身の核を見出し、その核を膨らませて育てなければなりません。自分にしかできないことは、自分がしたいことなのです。
この、したいという「自発性」こそ「自己」を見出す鍵となるのです。
頭のはたらきで科学は発達し、それは外的事物を極めることでしたが、この意識が外に向いたままでは「自分がしたい」ことは分からないのです。
その為に、現代こそ「裡の要求」を感じられるという「生の養い方・養生」が必要なのです。