野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

「体」がつくる感受性の世界「体癖」③-体癖論Ⅰ 6

腰椎と体癖の関係

 今回は体運動の中枢である腰椎と体癖の関係についての内容です。

 先に「体癖は体運動以前にある」という野口先生の文章を紹介し、要求という数値化して測定できないものが中心にあると述べました。

 野口整体には、「要求そのものが生命であり、要求と行動を一つにさせるということが体力発揮の根本的な問題である」(月刊全生より)―という考えが基本にあります。

 要求というのは様々な水準で使われる言葉で、自分の興味の方向性・関心の持ち方という意味でも使うし、体が求めるもの・こと、という意味でも使います。

 気は「必要なものを集める力」なのだと言われますが、この「気」が集まる物事が、その人にとって「必要なもの」であり、興味や関心というのは気が集まる方向性=要求の方向なのです。

 それが体癖の原点にあり、人間は「要求」を感じ、脳と運動系を通じて実現していくのです。しかし、部分的運動失調があると要求を実現する上で妨げになります。それを調整するのが整体指導の目的ですから、運動系の特性から体癖を見るという観点も重要なものなのです。

 それでは今回の内容に入ります。

(金井)

  これまで、腰椎一番(① Aさん)、腰椎四番(② Bさん)と出てきましたが、これは、脊椎骨の五つの腰椎(L1~5)の一つに体癖的中心があるからです。

 体癖は次の五つの型に分類されます。

上下型(腰椎一番)上肢が上に挙がる運動

左右型(腰椎二番)上体が左右に動く運動

前後型(腰椎五番)上体が前か後に動く運動

捻れ型(腰椎三番)体を捻る運動

開閉型(腰椎四番)閉型はしゃがむ、開型はしゃがむと尻

もちをつく

※カッコ内は重心位置となる腰椎

 五つある腰椎にはそれぞれ役割があり、上下から開閉までの言葉はすべて、体運動の方向を表しています。

(①②で述べた「立姿で腰椎の一つに愉気」をするとは、その腰椎が持つ体運動の方向性が表れることで、その中で、その人の重心となる腰椎によってそれに応じた運動が顕著となる。例えば上下型の人であれば、腰椎一番に愉気した時、挙上動作に勢いがある)

 そして、人の無意運動の観察から五種類が規定されました。体運動という面から説明しますと、意識しない心のはたらき(感情など)は体の無意運動と密接です。生理と心理は互いに影響し合っており、体癖的な「感受性」が外界を受け取り、その人の心の世界ができているのです。

 そして指導者が「この体の特徴はどのような運動が優先的なのか」、というのを観るのが「体癖観察」というもので、五つの腰椎の何番目に重心があるかによって、その人の体癖的な能力(潜在能力)がきちんと発現するか、しないかなのです。

 体が偏り、重心があるべきにないと、持てる能力を発揮して生活することが困難となり、「この頃の私は自分らしくない」といった感じとなります。これを「不整体」と呼んで、本来の自分らしさが発揮できない状態なのです。

 例えば左右型においては、腰椎二番(L2)に重心があるとき、体の 左右運動が円滑となり、本来の自分らしさを感じることができます。感覚的にはおしゃべりしたり、食べたりということがスムーズに行われ、感情の流れが良いわけです。

「重心があるべきにある」と、心が落ち着いて、自分の体や頭をきちんと使うことができます。この状態が「体が整っている=整体」ということです。

 大切なのは、腰椎が入らないと、特に重心位置の腰椎が働かないと意欲が生じません。これは、頭での「やる気」というものとは全く質が違うのです。

 整体とは、体の整った状態をいうのですが、この時、体の重心が腰椎の体癖的焦点に決まっているのです。

「腰が入り、心が決まる」状態ということです。

 こういう体の時に、「何かができそう」であるとか、「何かをしたい」という「意欲的」な心の状態になります。別の表現をすると、「良き空想ができる心身の状態」なのです。

 非意欲的というのは、良き空想ができない体の状態と言えましょう。人は、無意に思い浮かべるものによって生きているのです(何かができそうだと無意に感じられる時に意欲的)。

 ここに「整体」であることの効用や意義があるのです。

 体癖と体の偏りを観察し、「整体操法」という技術を用いての「体癖修正法」というものが、個人指導です。

「整体」を保持するとは、「良き空想ができる体」を保つことなのです。