野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

運動系の研究から始まった人間の探求「体癖」-体癖論 2

運動系の個人特性を観る

(金井)

野口晴哉は、運動系の研究(裡の要求を実現する「構造と機能」の相違)が体癖論へと発展したことについて、次のように述べています(「体癖の活用」『月刊全生』)。

 

人間と運動系の構造

 この体癖講座で私がお話しようとしているのは、体癖といっても人間の体癖であります。生き物のうち運動系を持っている動物は、その構造によってそれぞれ異った運動習性を持っております。蛇はニョロニョロし、蛙はピョンピョンする。同じ食べたいという要求を果そうとすることでも、運動系の構造が違っていると動作も違ってくる。

生き物というのは、成長し、繁殖するということがその特徴でありますが、生き物の中でも、動物は自分の体で動いて之を果す。風によって種子を播く植物類とは少々異る。動物はその体の運動系を活発に使って体の中の要求を実現して行く。そういうことが動物の特徴であります。その動物の特徴の大部分を司って、種の要求を果しているのは運動系であり、その運動系の相違が蛇と蛙と猫とカラスとを分けているのであります。

 ですからカラスだってお腹が空くのだけれど、ニョロニョロしないで、飛んで食べ物を捜す。同じ要求の表われ方でも、その運動系の構造によっていろいろ変化して行く。

 人間の人間たる特徴はやはりその運動系にあって、人間はその運動系を使って生活している。だから人間の探求というものは、始めにその運動系の研究から入っていかないと、人間独特のはたらきや構造が何故そうあるのかということも判らない。

 人間の研究では、運動系の研究ということが今迄一番おろそかにされておりました。たとえば虫様突起炎だというとお腹を切って取るというだけで、その運動系に残っているだろう体の偏った使い方などというものは無視されている。

 けれども動物を研究するには、やはり臓器の面よりは、運動系の機能というものから入る方が本当なのであります。…そういう理由で、私達も人間の運動系というものに興味を持って、それを調べ始めたのであります。

 蛙がピョンピョンするのと蛇がニョロニョロするのは要求の相違ではない。その運動系の構造にある。だから同じような運動系を持っている人間同志でも、いろいろと動作に差がある。

 或る人はお腹が空いたとなるともう意地も見栄も無くなって、ともかく食べないと動けないと言う、或る人は部屋の中に居ると何となくガヤガヤして騒々しい、逆に或る人はいつ迄も静かにしていられる、というようにいろいろの特性があるが、そういう特性の依って来たるところは何だろうか。

猫のようなのもあれば、フクロウのようなものもある。或いはすずめのように早起きなのもある。そういう行動の相違の起る基は、やはりその運動系に何らか相違があるのではないだろうか、というところから、運動系の研究というものを始めたのであります。

 運動系の研究から始まった人間の探求「体癖」-体癖論 2

 師は体癖研究の初め、ある人をある動物に喩えて観察していました。ここにも、「蛇・蛙・カラス・フクロウ」など出て来ます。人も、首が長い、顔やお腹が丸い、肩が逞しいなど、体癖の知識とともに見慣れると、大いにその相違を見ることができ、興味を持って人間観察ができます。

 私が行ってきた野口整体の「個人指導」とは、専ら、身体の「体壁(たいへき)系(註)」に表現されている情動を捉えた上での、身体(無意識)および意識との対話と言うことができます。これは、新しい体表医学と言うべきものです。

(註)内臓系と体壁系 

 内臓系とは、「栄養―生殖」を司る器官(内臓・血管など)を指す。体壁系とは、人の身体の「感覚―運動」を司る器官(神経系・筋肉系・外皮系など)で、体表(体の壁)の部分を指す。

 前者は植物器官とも呼ばれ、後者は動物器官とも呼ばれる。前者はいわゆる「はらわた」であり、後者はそれを包んで運ぶいわゆる「五体(頭と四肢)」である。解剖学者・三木成(しげ)夫(お)の命名によるが、アリストテレス以来の大別である。湯浅泰雄氏は次のように述べている(『気とは何か』)。

(内臓系と体壁系)の分化は最も原始的な生命である細胞(細胞膜と中心核)において既にみられ、感覚器官が未分化な原始的生物の段階になるとはっきりみられる(ホヤやナマコの例)。生命の体制は、内臓系と体壁系の分化から始まると言ってもいいのである。こういう発生学的(あるいは型態学的)な見方をとると、西洋医学東洋医学は、内臓中心医学と体壁中心医学というふうに対比してみることができる。

(金井) 

 東洋の医学観は、内臓中心の西洋医学に対して、体壁を中心に発達してきたのです。それは、生きたままの人間を観察し、研究してきたからです(西洋医学の基盤にある死体解剖学は、二分法「生きていることと、体を切り離す」に拠っている)。

 この点では東洋医学との共通点があります。そして体壁系の運動特性が、「個人によって異なる」という面から発展させたのが師野口晴哉の運動系の研究、つまり体癖論なのです。