生活に妨げとなる体癖現象を修正する
今回の内容は、上下型が主題になっています。背が高くて痩せていると、「上下型」に見えてしまうこともありますが、小柄な上下型もいますし、偏りで上下型的になっている人は相当にいます。
体癖としては、一番特徴的なのは首です。首がまっすぐ上にむかってついていて、首が目立って見えます。少々古いですが、オードリー・ヘップバーンは、自分では首が長いことを欠点だと思っていたそうですが、個性にもなっています。
どの体癖にも敏感に反応するところ、鈍いところがあり、「良い体癖」というのはない、と理解しておきましょう。
(金井)
師野口晴哉は、治療時代の胃・心臓・腎臓というように、臓器を対象に体を考えていた時代を経て、「体の偏って働く方向を変える」、ということを思い付くようになりました。
ここに、「体癖修正」という考え方が芽生えたのです。
その当時のことを、師は「その人のいつも偏って働く方向を変えることにした。そうすると心臓も良くなれば、胃袋も良くなってくる。
下痢もしなくなってくる…病気そのものを一つ一つ治すよりは、体全体の力のバランスがとれるようにするのが本当ではあるまいかと考えたことが、体癖を見つけ、その修正を志すようになった契機の一つなのです。(左右偏りの体癖『月刊全生』)」と述べています。
偏り疲労を調節して身心の統一感が高まると、体癖的な感受性も変わって来て、その人の自然な(本来の)心の動き方になってきます(身体精神現象)。
こうして、師野口晴哉は「体癖修正」という考え方を打ち出しました。
体癖というものは、生まれた時から一生変わらないものです。それでは、体癖のいったい何を修正するのかというと、体癖が生活に不便を与える面を修正する、ということです(修正とは「不適当な部分を改める」こと)。
体癖論Ⅰ 4でAさんを挙げ、上下体癖の感受性は「考えることが得意で感じることが疎かになる」と紹介しました。
上下型は体で感じること、また、好き嫌いといったことは分かりにくい上、自分の感じたことを信じられず ―― 感覚と感情に鈍く、言葉に敏感で ―― 他人の言うことを信じてしまう傾向があります。
文中でAさんは「感じるということが足りなかったな」という反省の上で、「感じるってこういうことなんだな」と、感じることを学んでいると述べています。
このようなことが体癖修正の一つとなるのです。上下型が「考える」ことが得意なのは良いとしても、感覚や感情があまりにも鈍くては、生活の妨げになるものです。言い換えると、苦手なことが多少とも習得されることが、生活が円満となる秘訣と言えましょう。
このように、「体癖による生活の妨げとなるもの」を修正するのであって、決して別の体癖にすることではありません。
師は体癖修正について、次のように述べています(『月刊全生』)。
体癖は体ごと直さないと、心で努力して
も、意識で工夫しても、それだけでは変わらない。けれども体癖のせいにして、みんなそれになすりつけてケロッとしているというのは、余りいいことだとは云えない。
そこで私は、自分の欠陥を見つけたならば、自分の
体癖に添ってそれを修正することを考えるのでなければ、…本当の体癖研究にはならないと思います。
(補)上下型体癖
野口晴哉先生は上下型体癖について、次のように述べています(月刊全生)。
上下型の生活様式の特徴は、中心が大脳にあり、意識して考えて、そして行動する。だからその生活状態も、他人がいいと言ったからいいのだというように、毀誉褒貶と言いますか、そういうことを重
んずるのです。
大脳がその体の主体となって動き、大脳が体の働きに対して非常に支配し易い体なのです。
他人がいい、大勢がいいと認めたことだと自分に適おうと適うまいとやってみる。自分の感じたことにおいては全てのことに疑念を持っていて、絶対に信じられず、決められない。
決断できないことから、絶え間無く迷う。時に慎重だとか
、強情だと見えるが、それは腰が抜けていることによる。
上下型に於ける生活様式は、大脳が主体になっていること、要求よりは頭で考えたことの実践の方が濃く、それをしようとする意識が強く、それが生活の中心になるのです。