野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

「対話」における体癖①―体癖論Ⅱ 7

整体個人指導における感受性の理解

  金井流個人指導では、身体の観察を通じて受け取った「情動」体験に焦点を当てます。相手の感じ方(敏感に感じることは何か)を理解することで、「なるほど、ショックを受けるわけだ」とか、「怒り爆発するわけだ」など、相手の実感に沿った対話ができるのです。

それでは内容に入ります。

 

(金井)

「体癖を理解する」とは、「感受性」を理解することです。

 リンゴひとつを例にとってみましょう。机に置いてあるリンゴを観て、「に感じるのか・に感じるのか・を思い浮かべるのか」というように、あるものが持っている要素のうち「何に反応するのか」ということがあります。

 例えば、形に敏感な五種体癖がデザインをすると、形は良いが色は良くない、ということがあります。この逆に、三種体癖は色づかいは良いが、形は洗練されていないという面があります。

 人は世界中の事物の何か、どれかに関心を持ち、ある物に強く反応し刺激として受け取っています。何かに関心を持つという自体が、それを刺激として自らのセンサーで感じ、レーダーやスクリーンにそれを映しているということなのです。

 

野口晴哉は、「対話において一番大事な問題は、相手の感受性を知るということなのです。」と述べています。

可能性を啓くための「整体指導」において、人が持つ「感受性」を知るという重要性から、体癖研究は始まりました。それは、相手の体と心を理解することによって、良く導くことができるからです。

(註)対話 とは、心が行ったり来たりすることで、ここでは、とりわけ潜在意識間の交流を意味する。

 

 師は「感受性の方向と体の動きは一つのものなのです。だから私はあえて『体癖』という名前をつけたのです。」と述べています。そして、一人一人の感受性傾向を体の動きと関連づけて観察していくことで、感受性の傾向は体の運動の癖によって起こるということを確かめ、それを十二種類に分け、「体癖」と名づけました。

 師の著書『体癖 Ⅰ』の扉には、「人間に於ける個の探求」という言葉があります。「体癖」は、人間を類型化して、それに当てはめるためにあるのではなく、自分の感情や先入観から離れて、一人一人の体と心を理解する為にあるのです。

 例えばある指導で、上下型が濃い母親が、娘が交通事故を起したという(訴え)話があったのですが、この時、一方的な娘の過失という状況で、「〇対一〇〇」という判断がされていました。

 捻れ型もあるこの母親は、世間に対して「何の反論もできない」という思いに包まれ、事故を起した本人よりも「立場の無い、辛い思いをしている」、という感情を受け取ったことがありました。

 この事故で、被害者を含め誰からも責められてはいなかったのですが、大きく落ち込んでいる様子が観て取れたのです。

 上下型には、とりわけ「世間(人の評価)が気になる」ことと、七種(捻れ型)は「勝気(闘う)」という面があるからです。しかし、このようなことを自分の口で表現できる人は、めったにないのです(出来事を説明することはできるが、感情表現はできない)。これが、言葉では訴えられないことです。

 個人指導では、「体が表現している感情」を受け取る(無心に体に聴く)ことから、このように相手を理解し、対話するのです。