野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

心療整体と五氏の思想との関わり―野口整体とユング心理学 巻頭二②

心療整体と五氏の思想との関わり

 今回は二 心療整体と五氏の思想との関わりの続きです。

 文中の故・柳田先生は、体量配分計による体癖研究の第一人者だった方です。立川昭二氏は、柳田先生の指導を長く受けられていました。お会いした時、「柳田先生の指導で、子どもの頃からの「腹巻」をやめた」と話されていたのが懐かしく思い出されます。

 また、井深大氏は、野口晴哉先生の指導を受けていた時期があり、野口先生は、トランジスタ開発当時、ラジオの試作品を見せられて買ったことがある、と講義の中で述べています。 

人体科学会の趣旨に沿っていた私の思想

  井深大氏に始まり、湯浅泰雄氏、上巻で紹介した石川光男氏、村上陽一郎氏、そして本書中巻での河合隼雄氏、池見酉(ゆう)次郎氏と、現代の問題点に取り組んで来られたこれらの方々が、「人体科学会」に関わっておられたことに驚いたのは2008年夏のことでした。これはHPを見て知ったことです。

 人体科学会HPには、設立時(1991年11月)の趣旨として次のように述べられていました。  

現代は、社会のさまざまな面で、人間性の危機が叫ばれています。その主な原因は、科学技術の急速な発展に比べて、人間精神の進歩が伴わず、精神の領域についての研究が遅れているところにあると思います。このような状況の下で、私たちは、新しい学際的で総合的な観点から、人間性の本質について研究すると共に、その成果を普及することを目的として人体科学会を設立しました。

 近年、学問や思想の世界には、新しい変革の波が押し寄せています。深層心理学や医学の分野では、機械的な人間観に対する反省から、心身の密接な関係に注目するホリスティックな見方が世界的に起こっています。それと共に、古くからの東洋医学や、東洋諸宗教の伝統の中に伝えられてきた気功・ヨーガ等の修行法・心身訓練法の意味と価値が、あらためて評価されるようになってきました。

 さらに、精神と物質を分離した従来の考え方(科学の基盤となった物心二元論)について反省し、生命科学や工学技術の立場から、物心の間にある未知の関係について探究する動きも盛んになってきています。

「人体科学」Mind-Body Scienceは、このような現代の新しい動きを踏まえながら、心と身体の不可分な関係に注目して、人間の潜在能力とその本性について学術的・実践的に研究する新しい試みです。それは宗教・哲学・心理学から医学・生命科学・工学技術などの諸分野にわたる現代の学問の最先端の協力に基づいて、心身内部の微妙なメカニズムを探求すると共に、現在はまだ未開拓な諸分野についても、学際的(いくつかの異なる学問分野が関わること)な立場から総合的に取り組みたいと思います。

 それによって、人間の潜在能力や心身の秘密を明らかにし、将来の世界における思想的理念を求めてゆくことを目標にしています。

 

 この会のHPに、人体科学会第一回大会(1991年)についての、井深大(註)氏の文章がありました。その中には、私が若い頃お世話になった、整体協会の柳田利昭先生による、第一回大会での「活元運動紹介」の記事があり、さらなる驚きを感じました。

 私は師野口晴哉亡き(1976年)後、十年余り彷徨(さまよ)ってしまい、本気で立ち上がる(「気・自然健康保持会」発足1998年)には、その後、さらに十年を要し、井深氏の思想に深く触れた時(2005年)は、すでに井深氏がこの世の人ではなかった(没1997年)ことが自身にとって悔やまれました。

 私は心の中で、井深氏を親分と仰ぎ、湯浅氏と石川氏という両教授の学生であると考え、河合隼雄氏は大先輩だと思っています。そして、立川昭二氏は柳田先生と交流を持たれていたとのことで、直に野口整体を理解されているという点が私にとって頼もしく思われます。

(註)井深大氏の思想については、上巻『野口整体と科学 活元運動』序章二で詳述。

 本書で紹介する五氏の略歴

立川昭二(1927年~2017年)

 東京生まれ。科学史・病理史学者。早稲田大学史学科卒。

早大講師をへて、1966年北里大学教授となる。

1970年代以降、病気や死についての文化史的考察が専門となり、日本人の死生観、病気や老いなどを文化史的、民俗学的視点から研究する。

 著作は『養生訓に学ぶ』『からだことば』『文化としての生と死』など多数。近著に『気の日本人』がある。北里大学名誉教授。特に代表作『病気の社会史』(NHK出版 註)では、明治以来の近代化途上、伝染病(コレラチフス結核など)と日本人について、隠れがちな「文明と病気」という主題を扱っている。

(註)『病気の社会史』は後に岩波文庫で再版された。

 

湯浅泰雄(1925年~2005年)

 福岡県福岡市生まれ。哲学者、文学博士。身体論、気の思想、超心理学ユング心理学等に関心を持った。東京大学文学部倫理学科、同経済学部卒業。経済学修士の学位を持ち、山梨大学教授・大阪大学教授・筑波大学教授・桜美林大学教授(同大名誉教授)を歴任。

 

河合隼雄(1928年~2007年)

 兵庫県篠山市生まれ。臨床心理学者。一九五二年京都大学理学部数学科を卒業。京都大学大学院に籍を置き、心理学を学びつつ数学の高校教諭として三年間働く。その後、心理学の師を求め、アメリカ留学を経てスイスに留学、ユング派の深層心理学を修める。日本的心性に適った心理療法を創造することに苦心した。京都大学名誉教授、元文化庁長官。

 

C・G・ユング(1875年~1961年)

 スイスの精神科医・心理学者。E・ブロイラー、S・フロイトに師事し、国際精神分析協会の初代会長を務める。あまたの神経症や精神病の治療に従事した経験から、人間の心の深層に存在する無意識領域に注目するようになった。

 彼が特に着目したのは心の自然治癒力とも言える「無意識の補償作用(意識の一面性を無意識が補う形で働くこと)」である。やがて、これを人間にもともと備わっている、より良く生きるはたらき「生命の合目的性(生命は一定の目的にかなった仕方で存在していること)」として提唱するようになる。後年には自らの膨大な臨床体験を通じて独自の心理学を打ち立て、それを分析心理学と呼ぶようになった。

 1948年、共同研究者や後継者たちとともに、スイス・チューリッヒユング研究所を設立。ユング派臨床心理学の基礎と伝統を確立した。

 

池見酉次郎(1915年~1999年)

 福岡県生まれ。日本の心身医学、心療内科の基礎を築いた草分け的な日本の医学者。九州帝国大学医学部卒業。

 戦後、アメリカの医学が日本に流入した際、心身医学の存在を知る。1952年アメリカ・ミネソタ州のメイヨー・クリニックに留学。帰国後、日野原重明、三浦岱(たい)栄(えい)らと共に、1959年日本心身医学会を設立し、初代理事長になる。1961年九州大学に設立された国内初の精神身体医学研究施設、初代教授に就任し、内科疾患を中心に、心と体の相関関係に注目した診療方法を体系化、実用化に尽力した。国際心身医学会理事長を務めた。

 心身医学を研究することが、日本の伝統的な「心身一如」の文化(禅・立腰道)に目覚めることになった。