野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口晴哉生誕百年―臨床心理による整体指導 序章 二3

視覚の特化によって「だれでもできる」ようになった 

上村 レントゲンもエコーも、原理的には、エックス線や音波の通り具合によって、いろんな違いを見分ける。それをCTやMRIのような画像にして表現するというのは、コンピューターの技術なんです。

金井 コンピューターが発達したから出来たのですね。

上村 そうです。コンピューターの発達で画像化が促進され、医師もそれに頼り始めて、感覚も落ちて行った。

 それまでは、ブラックボックスの中を、外から「一体、中で何が起こっているのだろう?」というようにして、医師の感覚がどんどん発達していったものが、今は目の前に、ポンと完成された画像がある。感覚情報をつなぎ合わせて推理する過程(共通感覚)(註)が無くなってしまった。

(註)共通感覚 五感の根底にあってそれらに共通するものの感覚。また、ある社会で一般に通用する判断力、すなわち、コモンセンスの訳語である常識をも意味する。

 

金井 だから、こういうことですね。CT、MRIなどは透かして見る、内視鏡は覗いて見る、つまり「視覚」に頼っている。理学所見による「聴・触」覚を排してということで、大変科学的であると。客観性を重視する科学は、検査データの「数値化」と「視覚化」を進めたんですね。

上村 そうですね。科学的に発達するというのは、記号化や数値化、そして視覚化によって見ることができ、誰にでも分かる形(普遍的)にすること、と言えると思いますね。「大衆化」とも言える。ごく一部の人にしか解らなかったものが周知のことになる。だれにも解るから、だれでもできる、みたいな。

金井「大衆化」、「だれでもできる」というのは、ファミリーレストランのシェフは「今日来て、すぐできる」みたいですね。食の世界も「大衆化」したんですよね。

 車の修理工で言うと、八気筒や十二気筒エンジンで、音を聞いただけで「あ、これ何番目のピストンがおかしい」。そういう職人が結構いたということですが、今はコンピューター化されて、修理をする時は車にパソコンを繋ぐんです。それで、パソコンの指示によって、駄目な部分を取り換えるという。

自動車ディーラーの技術者は、今や「チェンジニア(部品交換要員)」と揶揄(やゆ)されるようです。

これらのことと同様に、至るところで、職人的な「経験によって感覚を磨く、勘が育っていく」というのが、無くなっているのが現代です。

 科学では、感覚の中で使われているのは視覚だけであり、医療が科学的に進むことは「視覚の特化」を生むのです。視覚というものは、見るものと見られるものの分離を促す性質があります。しかし触覚は、対象に直(じか)に触れることで、視覚とは正反対に、相手と「つながる」という大きな役割があるのです。

 現代医療では、人間に対して「観る・聴く・触れる」ことを通じて考えることがなくなった。感覚を動員して勘を働かせることをしなくなったのですね。