野口晴哉生誕百年―臨床心理による整体指導 序章 三2
西洋医学の身体観が人間に与えた影響
①死体解剖学に始まる西洋近代医学
近代科学発達以後、心身二元的・機械論的生命観が確立され、近代医学においては、患者の身体は客観的に検査され、治療される対象となりました。
一方、生きている人間の身体は、人という存在の全体性そのものである、と観るのが野口整体の捉え方です。筋肉や内臓、そして骨も単に物質としてあるのではなく、心とともに動いているものです(骨の形や触感に心が顕現している)。
このように、生きているものをそのままに観察し、対処しようとするのが東洋的伝統です。
しかし西洋医学での教育は、「死体」を解剖することから始まります。生きている人間ではない「死体」には、感情もなく動くこともありませんし、腑分けした臓器が、それ単体で生きているわけではありません。まして、その人がどんな人で、どんな生活をして何を感じているかということ(感受性の問題)は、どんなに細かく解剖してみても、分かるものではありません。
医学生が最初に「人間(の体)とはこういうものだ」と認識する対象が、生きている人間ではないということが与える影響は、現代の医療現場で起きている様々な矛盾の根源にあるのではないでしょうか。
②「心と体」を分けたこと、分けないこと
また、上村医師は総合病院勤務時代、「老いるということが、ただ朽ちて死に向かっていくだけに見え、自分が老いていくのが恐ろしく感じるようになった」と語っていました。
当会に集う他の医療従事者たちも、「医療の場で働く多くの人たちが、その在り方について疑問を感じている」ということを語ってくれましたが、その本質的な原因は、人間一人一人が「心」を持つ存在であることを、西洋近代医学が見失っていることにあると思われました。
目に見えないものは対象外の科学は心を除外しているのですから、科学的に発達したもののみに関わっていると、自分の心も発達しないのです(理性は発達する)。
現代西洋医学では病理学が進み、また科学的に高度に発達した医療技術の成果には驚くべきものがありますが、それはますます人間の心から離れたものになっているのです。
本書巻頭の次に挙げた、師野口晴哉の全生思想には、「生と死」を分けない捉え方が示されていますが、これは東洋思想に立脚しているのです。一方西洋思想では、「生と死」「健康と病気」、そして「心と体」を分けているのです(二分法・二元論が西洋の特徴)。