野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

巻頭 潜在意識は体にある!― 自分のことから始まった野口整体の道 10

理解されているという安心感を与える人 

見田宗介氏(註)は、潜在意識間の交流について、朝日新聞の連載「私の野口晴哉②」(2004年㋃9日)で次のように述べています。 

椎骨百万 「包括的な合理性」の方へ

イスラエル人の母親が逆子に困って訪れた時、野口はヘブライ語は話せないので仕方なく日本語で胎児に、「オイ逆さまだぞ。頭は下があたりまえなんだぞ」と言ったら、胎児は正常に戻ったという。こういう話も一見「非合理的」だから、「科学派」は頭から信じないし、「宗教派」は反対に神的な業として拝むかもしれない。実際野口からある水準の技を習得して、新興宗教の開祖となった人もいる。わたしは両方ともまちがいだと思う。

 メキシコに長く住むバイオリンの黒沼ユリ子さんは、「ケンカの時だけは日本語」という。「力のある言葉」、言葉に気魄(きはく)がこもるということがあるが、語る人の存在の深部において「身についた」言葉しか気魄はこもらない。胎児はこの気魄に感応するのだと思う。野口は日本語で言ったから通じたのである。コミュニケーションには言語的(バーバル)と非言語的(ノンバーバル)があるが、言語に随伴する「下言語的」(サブバーバル)交流という領野が存在すると思う。言語が意識の交通なら、下言語は潜在意識の交通である。野口晴哉は潜在意識の交通の達人であった。

   師野口晴哉に出会った人というのは畏れも感じていますが、深い愛情のまなざしを受け取っているんです。そうすると、すべて見通されていると感じるし、愛に包まれていると感じるのです。

 訪れる人々は「虚にして往き、実にして帰る(虚往実帰…行くときは何も分からずに空っぽの心で行って、帰るときには充実して、十分に満足している)」というものでした。

 一つ、特に見通された体験があります。入門してどれほど経っていたか、一通り師の世界が解ってきた頃、講義中の最前列、私は下を向いて「この人はすごい! でもどうしてこんなことが解ったのだろう」と、心中感嘆したのです。そしてふと顔を上げると、師は私の目をじっと見つめ、「気を集めると解るんだよ」と言われたのです。

 これには驚いたのなんの…。

 また、私は3で述べたような育ちをしている(『病むことは力』第五章にも詳述)わけですが、私が気付いていないところまで、それは過去、未来を含め全て見通している。そういう安堵といいますか、理解されているという安心感を与える人でした。

(註)この文章の冒頭には、金井先生が著書『病むことは力』を執筆していた2004年の春(出版は6月)、社会学者・見田宗介氏(東京大学名誉教授)の「私の野口晴哉①~⑤」が連載(四月毎週金曜日)されたことが述べられ、金井先生は、

 生れて初めて筆が進むようになった二〇〇四年の春、朝日新聞に、ここには師野口晴哉について詳しく述べられており、こういうことは私の野口整体の歴史の中で画期的なことで、このような時代が、ようやく来たのだと思いました。

と述べている。