野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

巻頭 潜在意識は体にある!― 自分のことから始まった野口整体の道 11

進み得る方向において観る

  師野口晴哉が亡くなった時、私は28歳でしたが、熱海に24歳で来て、師が亡くなるまでの間はがんがん仕事をしていました。

 師の「荒削りだが、いい」という言葉も間接的に頂いて励んでいました。

 ご自身亡き後、私の性質からして協会に残れないのは、師は解っておられました(時が経つほどに、私は自身を理解することで、このように思うことができました)。

また、前年の秋には四段位を頂くことができたのです。プロと認められる四段位を、入門九年目で戴く、しかも二十七歳でというのは、稀なことだったでしょう。

 初等講座を一年やりますとほぼ準段位がもらえます。そして二年目中等講座で初段、その後高等に進んで二段、三段と進み、三段は整体コンサルタント(註)試験を受ける資格があるのです。コンサルタントを当分やってその後が四段位、それ以前は整体技術者、四段位からは整体指導者と呼ぶのです。二十七歳でそれが戴けたのです。

 それは、1975年10月の京都高等講習会のことです。三人試験官がいまして、女性が一人、男性が二人。男性二人は反対で、三人が一対二でもめたようです。そして女性の臼井栄子先生という方が「じゃあ野口先生に決めて頂きましょう!」と持って行かれたら、師が「僕も良いと思う」と言われたそうです。臼井先生は、師の最後の地方講習会(箱根 1976年5月)で、最高位の九段位を授与された唯一の方です。

 師は私の素質に対して、そして、その素質から出た少しばかりの光に対して、励ましの意味で四段位を出されたものと思っています。「進み得る方向において観る」ということでしょう。

 しかしこの二人には、当時の私にそれを観る力はなかったと思います。特に一人の方は、師亡き後、協会に残らない私への不満を臼井先生にぶつけたそうです。「なぜ、あれに四段位を出したんですか!」と。そしたら臼井先生が「あんたがあの世に行ったら、野口先生に聞いてみなさいよ」と切り返されたそうです。 

 師亡き後、自分を守り育てていく。特に整体指導者として、私が自身を育てるには、外界からの刺激を受けないで「一人になり切る」、熱海の山の中に庵を結んで一人になり切るしかありませんでした。逆境に育った私の弱さであり、強さでもあります。単純に「独りが良かった」とも言えます。これにより自分を癒し、「純粋培養することができた」と思うのです。これが、私が協会に残らなかった理由だと思います。

 私は母親のお腹にいた時から、人に充分守られて生き、育ってきたという時がありませんでした。そして、特に最近解ってきたことで、一番の理由だと思うのは、やはり特殊な感性があるのです。ものの感じ方が一般的ではないと思います。この感性が、仕事上の「型」となってきたのが、『病むことは力』に込めた内容であり、そして当会会報へと続いて行きました。

 師ほどの「徳を以ってはじめて理解し得るもの」というとなんですが…、他の人間にはほとんど理解されてきていないのです。

(註)コンサルタント コンサルティングを(問題点を把握し、対策を提案)する人。整体コンサルタントとは、人の体が「整う」ため、その「身心」の問題点を把握し、整体指導法を行う人。