野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一章 野口整体の身心の観方と「からだ言葉」三3・4

腹黒い 

 1991年頃、三味線弾きだった年配の女性(熱海在住の元芸妓(げいぎ))が、「背中を痛めた」ということで指導を受けに来たことがあります。

 次の指導時、この人に「どのような感じになりましたか」と尋ねますと、「お陰で腹黒いのがとれました」と言うのです。彼女はかつて胃潰瘍になったことがあり、「腹黒い」のが溜まると病気になることを自身で体験していたのです。

 私は、この人のことを「腹黒い」と思ってはいなかったのですが、この時代、このような職業に生きてきた人の中には、自身のことを身体感覚でこのように表現する人が、僅かに残っていたのです。

 この世代(昭和一桁以前)の人たちは、このような体験がないにしろ、「腹黒い(心に何か悪だくみをもっている)」という言葉をよく使っており、悪想念を抱くことを「腹が黒くなる」と感じていたのです。

 そして、この世代までの人々は「腹黒い人」というのを気で見抜く能力さえ有していたのです。

 このようなからだ言葉が用いられていたことは、この時代までは、気の感覚で「身体(身心)」を内観し、自己管理が出来ていたことを証明しています(「身を保つ」という養生の文化)。

 これは気の感覚による言語で、体には肉体のほかに「気の体」というものがあるのです(日本的身体観)。

 からだ言葉は、日本的な「気」の感性を磨く上で意味のあるものです。

 現代での「腹黒い」は、表の優しい態度に比べ、裏では悪口を盛んに言っているというような、「性格の悪さ」や「裏のある人」という意味を表現しているようです。

※昭和一桁以前 昭和10年、1935以前に生まれた人。

 腰が据わる・本腰を入れる

 他にも「あの人は腰が据わっている」とか、「肚が据わった人だ」などと、体を通して、人の心のあり方や人格を観ていたのです。

「腰が据わる」という言葉は、多くの方がご存じですが、「落ち着いて物事をし続ける」という意味で、「据わる」は「しっかりと定まる」、さらに「どっしりと落ちついてめったなことにも動じなくなる」というまでの意味を含んでいます。

 また「本腰を入れる」は、「真剣になって取り組む」ことです。しかし、頭で生きる現代では、このような腰を見ることは少なくなりました。

 私が若い頃(1960年代)までは、日本の身体文化である「腰・肚」に関するからだ言葉がたくさん残っていました。例えば、仲間でことを進めていく時に、あいつは「腰が決まっていない」という言葉を仲間内で交わせば、あいつは「一緒にやる気がない」、あいつとは「心を一つにする」ことができないことを意味していました。「本気でやる気になっていない」ことを「腰が決まっていない」と言ったのです。

「よし、俺は腰を決めた!」と言えば、「心を決めた」ということで、「肚を決めた」というのは、心の定まり方がより深いことを意味していました。

「腰が決まらぬ」人はもちろん、「腰が据わっていない」人には仕事を任せられないというのが常識(コモンセンス・共通感覚)でした。なぜなら、腰が据わっておれば、それは「心の集中力が発揮でき」、頭もそれに従ってはたらくようになるからです。何より、腰が据わっての仕事振りは、「本質を掴む力」と「責任能力」を身体で発揮することができるのです。

 心の安定、それは「情緒の安定」ですが、そのはたらきや決断力・行動力・持続力、といった心の力は腰骨と骨盤部(仙骨を含む)にあるのです。このようなかつての日本人の「腰力(こしぢから)」というものは、「腰・肚」文化(正坐を基盤とする生活)により養われていました。