野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一章 野口整体の身心の観方と「からだ言葉」三7②

からだ言葉は、気の「心理的側面」を表していた

― 気のはたらきを研究するには深層心理学の方法が必要

②日本の「腰・肚」文化とからだ言葉

 現代の日常的な意識における人間関係では、各人の「心」は皮膚の内側、または頭の中に閉じ込められてはたらくものと捉えられ、他者の心(感情想念)が何を思って(感じて)いるかは、言葉で尋ねてその返答に依るか、はっきりと行動に表われたものしか認識できないという人が多くなっています。

 しかし、このようにしか認識できない「心」とは意識の意味であって、意識の下(もと)には無意識(潜在意識)の領域があり、ここがはたらいていないのです。それは言葉以前の、そして無心の心に基づく自身の身体感覚や共感性を通して捉える、気(心)の世界です。湯浅氏が深層心理学の必要性を説くのはこのためです。

 瞑想の訓練を経た人は、気を感得することができます。経験的に表現すると、気は、変性意識状態(瞑想意識)において直観的に知られる作用です。

 瞑想の訓練を経た人は、気を感得することができます。経験的に表現すると、気は、変性意識状態(瞑想意識)において直観的に知られる作用です。

 そして、東洋の伝統にもとづく瞑想の訓練は、(感情制御のための)情動のコントロールを意味します。いいかえれば、無意識における情動の作用を浄化していくときに、人は気を感得する状態にまで至ることができるのです(情動によって身心が影響を受けている状態では気を感得することはできない)。

 情動によって自我の主体性が奪われるという状況(コンプレックスによる支配)を脱却し(=無意識における情動の作用を浄化し)、無意識の直観的能力「気」を意識化することが、まさに修行(=直観的認識能力を顕在化させる訓練)なのです。

 本章である程度述べたように、「腰・肚」文化が定着していた近代以前の日本では、心身の統一性(意識と無意識の統合性)を高めることによる情緒の安定(情動のコントロール)を重んじて生きていたため、修行者や達人ほどではなくとも身心の統一力が高く、「気」を前提として他者との関係を捉えていました(これが、身体意識によって人の心を捉えていた、ということ)。

 そこから自分や他者の心の滞りを直観的に(勘で)捉え、「からだ言葉」で言い表すことで、身心にまとまりがないこと(心の乱れ)に相互に注意を促してきたのが、かつての日本の文化だったのです(このような時代とは異なる現代日本人の心の変化を、師野口晴哉は「愉気が行われなくなったのです」と表現した。)。

 そして、私の心療整体では、「気の心理的側面(感情・情動)」を、身体に手で触れることによって、実体的にも捉えているのです(この捉えた心の内容を表現するため、コンプレックスなどのユング心理学用語を援用している)。