第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持 ― 不易流行としての養生「整体を保つ」一 5
病症を、「生活している人間」を通じて考える― 心と体を一つに観る眼が求められている
湯浅泰雄氏は、「病気をしている人間」を無視する科学的西洋医学について、次のように述べています(『ユング心理学と現代の危機』)。
医療における人間性
…医科学の立場では、患者の抱えている心理的問題は排除され、身体に関する生理的事実だけが観察と技術的処置の対象になる。そこでは、いわば抽象的に一般化された「病気」が対象になるだけであって、人格をもつ具体的な「病人」は無視されることになる。臨床医は、一方では科学の立場に立って、患者を三人称(註)的な「物体」としてあつかわなければならないが、他方では、患者が人格をもつ存在であり、二人称的な「間柄」関係がそこに支配していることを認めなくてはならない。
…近年、臨床心理学、心身医学、精神医学などの対象とされる心理的要素の強い病気が激増している。こういう病気では、医療者―患者の関係は「間柄」的性格がきわめて強く現れてくる。ここでは一般化された「病気」よりも、具体的な個々の「病人」の人格が前面に出てくるからである。このような場面で心理学者と医学者を区別することは困難である。同じような問題は、高齢者を対象とする老人医療や、終末期医療などの場面でも起こる。医師は、患者の身体の状態よりも、心の問題について考えざるをえなくなる。
(註)人称 身体についての三つの視点
一人称的視点 「主体的身体」あるいは「心理的身体」
身体を自分自身の存在の基盤として捉える立場。
二人称的視点 「私とあなた」の関係性の中で捉える「身体」
心理的身体と生理的身体を統合して捉え、共有する立場。
三人称的視点 「客観的身体」または「生理的身体」(=物体)
人体としての基本的同一性に注目して外部から観察する立場。
20世紀後半になって増大してきた生活習慣病やストレス関連疾患に対して、西洋近代医学は有効な対応を打ち出せないことが次第に明白になってきました。近代科学では「心身分離(心身二元論)」が原則(古典物理学のパラダイム)であり、近代科学的見方をする医学では、体と心をつなげて考えることはないのです。
こうした、人間を生物化学的な機械として見る枠組みそれ自体に原因がある、という反省にたって心身医学は生まれてきました。心身医学が発達したアメリカで、その後、生活している人間を全体的に捉える中で病症を考える、「ホリスティック医学(全人医療)」が、1960年代に誕生しました。
これは、東洋思想の影響によるものです。
人間をも機械的に考えていた近代科学は、「閉鎖系」思考によって成立したものですが、東洋思想の影響による全体的な観方(つながりによって考えること)は、「開放系」思考というものです(開放系は後に複雑系と呼ばれる)。
人間を「心・身体・社会・自然」が密接に結びついた全体的存在として捉えようとするこれらの医学は、患者の身体を、物として対象化する従来の西洋近代医学とは根本的に異なる視点に立っています(これは複雑系の科学(註)の一つと言える)。
複雑系の科学は、自然界においても「自発的秩序形成が行なわれる」ことを、開放系であることを条件として理論化しました。次の師野口晴哉の文章は、全生とは開放系の生き方であることを暗示しています(『偶感集』全生社)。
「それ以前」
天衣無縫は美ではない。そこに自然の秩序が現われることによって美を感じる。
美は秩序であって、抛ってあるところにあるのではない。
一片の花にも美しさを感じさせる秩序がある。
一つかみの雪にも自然の秩序が整然とある。その自然の秩序を人体上に現わしているものを健康と私らは感ずる。
(註)複雑系の科学 自然界の複雑な現象を、複雑なまま解析してみようという試み。その最大の特徴は、「開放系では自己組織化(自律的に秩序を持つ構造を作り出す現象)が起きる」ということ。つまり、外部に対して開かれた開放系では、エネルギーが流入するので、それにより秩序が形成される(散らかった部屋に鍵をかけないでいると、知らない間にお母さんが掃除をする)。
閉じた空間でのみ成り立つ閉鎖系では、「エントロピー増大の法則」、すなわち「放っておくと、無秩序な方向にいく性質」があり、秩序は形成されない。地球は宇宙に対して開放系(散逸系・外から供給されたエネルギーを消費して秩序を保ち続けるシステム)で、そのため自己組織化が起き、多様な生物が誕生したと考えられている。生物は、エントロピーに逆行した散逸系であり、究極の自己組織化現象。思考や学習に伴って脳内などで起こる神経回路の構築も、自己組織化の一つである。