野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持 ― 不易流行としての養生「整体を保つ」一6

心身医学・ホリスティック医学と「養生の道」― 日本の思想『「気」の身心一元論』

  ホリスティック医学(全人医療)とは、体だけでなく、心・精神・環境までひっくるめ人間を捉える医療であり、それを基本姿勢とする医学です。

 本来全体として、関連性のなかで生きている人間存在のダイナミズムを、そのまま捉えよう(註)とし、西洋近代医学の機械論的な発想をのりこえ、医学と医療を捉えようとする医の哲学なのです(アメリカで1980年代から、とくに活発となる)。

(註)全体…捉えよう 自然界の根源を可能力とし、これを存在の原理であるとし、現象をいくつかの力や作用から捉える。

  胃が悪ければ、それを修理して直すといった機械論的アプローチでなく、胃の悪くなった根本原因、生活習慣、環境、心理状態までを含めて、患者の生命まるごとに関わる情報を観察・洞察して、ケアしていこうとする考え方で、故に患者に具わる、自然治癒力による回復能力が発揮できるよう、導くことが基本となります。

整体指導の場でこのような例の場合、本人との対話を通じて観察を深めることで、その原因を洞察できるものです。

「ホリスティック」(Holistic)という言葉は、ギリシア語の「ホロス」(Holos)を語源とし、「(生命の)全体性」という意味の言葉から生まれたものです。

 西洋医学の歴史で「医聖」と呼ばれる、古代ギリシアヒポクラテスの医学と医療のあり方は、もともと全人的医学・医療としての、ホリスティックなものであり、むしろ、その考え方は、アジアの伝統医学や東洋医学に相通ずるものでした。

 師野口晴哉の「整体」は、このホリスティック医学を先取りするもので、人間の内側に潜む力の開花・自然治癒力を癒しの原点におくものでした。

 このような「全体を包括的に捉える」考え方がされる以前、西洋近代医学では、生活している人間を考えることはありませんでした。

 序章で紹介した医師の上村氏は、

「人がいつも健やかであるために、何が必要なのかを医学はもっと探求すべきではないだろうかと思いました。しかし、驚いたことに、それを研究している医学者は見当たらない。…結局、病気に対していかに対処するかが、目的の中心になっている。」

と現代医療の問題を指摘しています(序章一 2)。

 このような現代医療のあり方は、本章で扱う「養生」といった方向性は、全く考えられていないものです。

 心身医学やホリスティック医学では、「成長モデル」というものがあります。これは、これまでの薬や手術、あるいは精神療法であっても、「先生、治してください」という「医療モデル」ではなく、健康の問題を単に体の上だけではなく、人間存在としての「健康と幸福」として追求するもので、その人の性格や生い立ち、人生観、宗教観までを考えていくというものです。

(「成長モデル」と呼ばれるものは、東洋の宗教的伝統に以前から存在していた、心身の訓練法としての「養生」である)

 これらの医学は、患者が、そして医療者自身も、自らの内側から体験する「からだ」を扱うという視点が、西洋近代医学とは根本的に異なるのです。

 こうした(一人称・二人称のアプローチで扱う)「からだ」こそ、江戸時代の人々の「身(み)」であり、湯浅泰雄氏の言う「心身一如としての宇宙的身体」です。

 日本の江戸時代には、古来よりの東洋宗教(神道、儒・仏・道教老荘思想))から醸成された「養生の道」というものがあり、「生き方」と「健康」をしっかりとつなげていました。ここには、近代文明の所産「科学」(である西洋医学)が人間の身体から切り離した「心」、また、魂とも言えるものとの一体感があります。

 これが、日本の思想『「気」の身心一元論』です(「気」というものがあるかないかという違いが、一元論と二元論を分けている)。

(註)ホーリズム スマッツ(1870~1950)が、1926年に発表した「ホーリズムと進化(Holism and Evolution)」という著作の中で初めて使った造語で、ある系全体は、それの部分の算術的総和以上のものであるとする考え方。