第二章 三 日本人にとっての宗教とは =〔身体〕 ―「整体を保つ」は「身をたもつ」1②
②「養生(生を養う)」から「衛生(生を衛(まも)る)」へと健康観が移って行った日本の近代化
…人体が物質化する理由は、体から心が離るゝためです。又心が一部分に滞つて感覚の伝導が公平に行はれぬためです。ですから、全体が一つにならず、ために合目的性(生きるための抵抗力)が発揮されない状態になってしまふのです。
しかし、心滞ることなく、体の働き鈍ることなければ、人は如何なる障害刺戟にも反応し、抵抗することが出来るのです。毒を薬に変ぜしむる位、簡単なことです。冷い風とか、病菌とかにさう易々冒さるゝものではありません。毒物が何です、病菌が何です、私らは生きてゐるのです。
…今の衛生法は、第一その文字から気に入らない、外を見て裡を見ない。病菌の恐しさを知らしめて、自分の力の強さを悟らしめない。だから、衛生の道を知ると、恐怖が起る(註)のです。
恐怖して心が縮まるから、体が働かない、体が働かないから、体、物と化して恐る恐る物に冒されてしまふのです。凝るのが悪いのです、心の滞りが麻痺の本体です。
( )は金井による。
西洋医学は、病気になった時、臓器や組織の機能的・器質的変化を見るもの(このように客観的に見ることは、人間を外側から見ること)で、これは師の説く「裡」を見ることではないのです(裡とは、病気になっている「身心全体の事情」を意味している)。
また、引用文にある合目的性とは、人間は生きるという目的に適った状態で存在している、ということです。
野口整体は、体を整え身体性を高めることで、心と体の統一力(生きるための抵抗力)を発揮するのが目的です。そこで、私の個人指導では、心と体の統一を破る大元である潜在意識化した情動(心の滞り)に注目するのです。
個人指導で「体が整う」ことが円滑となるには、情動による身体の変化を感じる「身体感覚」が高まることが肝要です。それで、師の「体でも心でも異常を異常と感ずれば治るのです」という言葉にあるように、「感ずれば」という「身体感覚」を重視するのです。
師は「無病病」という言葉を発明しています。この病気に罹っている人は、麻痺によって痛みも苦しみも感じないのですが、体が心の要求通りにはたらかず、何事もすらすら運ばなくなっているのです(麻痺(鈍り)は突然の大病にもつながる)。
これは生命の合目的性が働いていないのです。
(註)衛生と恐怖 森鴎外(1862年生)は軍医としてドイツに留学し、コッホの下で細菌学を究めましたが、それ以来、パスツール同様潔癖症になってしまったということです。鴎外は生ものに対して極度の警戒心をもつようになり、なま水は当然のこと飲まず、果物も生で食べられず煮て食べたというのです。
細菌の研究をすると、一切の生ものに入っている菌のことを知るようになり、その結果、果物まで煮てしまうということになりました。生ものが嫌いになったことから、蒸かした食べものが鴎外にとって理想の食べもので、「饅頭茶漬(ご飯の上に饅頭を載せる)」を好んで食べていたそうです。熱い煎茶をかけることで殺菌をしたのでしょうか。