野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

(補)全生思想 野口晴哉『治療の書』より

 中巻冒頭「全生思想」の中から、第三章に沿った部分を紹介します。

 (金井)

 師は治療を行っていた時代に、「治療する人」の心得として、次のように説いています(『治療の書』)。これは、整体指導者において大切な指導力を養う心のあり方で、「治療」という言葉を「整体指導」に変えて読むことができます。

治療するの人 相手に不幸を見ず 悲しみを見ず 病を見ず。たゞ健康なる生くる力をのみ見る也。不幸に悩む人あるも、そは不幸をのり超えざるが故也。不幸といふも のり超えれば 不幸に非ず。悲しみとて 苦しみとて のり超え得ざるが故に悲しみ苦しみなれど、のり超えれば悲しさに非ず 苦しさに非ず。

のり超えたる苦しさは楽しき也。のり超えたる不幸は幸せ也。のり超えたる失敗は成功の基也。不幸あるも悲しさあるも 苦しさ辛さも 要すればのり超える力無きが故也。のり超える力誘ひ導き、その人の裡より喚び起すは治療する人の為すこと也。不幸も 苦しみも 力を喚び起す者の前には存在してをらぬ也。

 病も又同じ。のり超える力導く者の前には 病も老いることも 又無き也。あるはただ生命の溌剌とした自然の動きあるのみ。その故に治療する者は生命を見て病を見ず、活き活きした動きを感じて苦しむを見ず。苦しむを見 悲しみを見 病めるを見るは、それをのり超える力を喚び起すこと出来ぬ也。

それをのり超える力喚び起す為には 治療するの人自身 何時如何なる場合に於ても 自ら 之をのり超えざる可からず。導くといふこと 技によりて為すに非ず 言葉によりて為すに非ず。たゞのり超える力 裡にありてのみ その力 相手に喚び起すこと出来る也。

それ故治療するの人 悲しさをもたず 苦しさを知らず 病を知らず 不幸に悩むこと無く生く可き也。常に楽々悠々生きて 深く静かに息してゐる者のみ 治療といふこと為すを得る也。

 (ブログ用改行あり)

(近藤)

 野口先生は1972年の潜在意識教育法講座で、「自分との対話」は、相手の「無意識に働く心」を方向付ける、という潜在意識教育の核心に触れるための全段階であると述べています(『月刊全生』対話の要求19)。

 いつの間にか、そうと思い込んでいる観念を探して、それを見つけ出し、明らかにして「日に当てる」と無くなる。このように「自分との対話」を通して、心を解放していくことが、他者との気による対話が行えるようになる過程だというのです。

 潜在意識教育は、心の原理を学ぶ基礎課程であり、野口先生が説いたことをそのまま適用して、他者の潜在意識を観察したり、指導したりすることはできないものです。まして、ただ言葉で問題を指摘したり、話し合ったりするだけではどうにもなりません。

 自分の中に無意識・潜在意識への通路が開かれることによって、他者の潜在意識とつながる通路ができるのです。これは、私が金井先生から学んだ最大のことでした。

 そして金井先生は、偏り疲労と情動の関係に注目しました。潜在意識が身心を支配する力の実体は、実は鎮まらない情動であり、これが健康に生きる上での支障となることを指導の焦点としたのです。

 こうして身体が表現している感情を観ることで、潜在意識への通路を開く指導を確立していきました。こうした自身の治癒過程と全生への過程を通じて、指導力は啓かれるという地平をひらいたのです。

 先生の最初の著書『病むことは力』扉には、野口師の次の語録があります。

 

雲の中にも蒼き空はある也

陽はいつも輝いている也

怒りの中 悲しみの中 煩いの中に喜怒哀楽を見ず

輝しき光を見 人の生くるはたらき悟るは

養生といふこと知る人也