野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三章 自分を知ることから始まるユング心理学と野口整体 二2

 前回に続き、河合隼雄氏のユング心理学野口整体の潜在意識教育との共通性についての内容に入っていきます。

  臨床心理の難しさは客観ではなく主観の歪みに焦点を当てる所にあって、この主観の問題に一緒に取り組むために必要な条件が「自分のことから始まる…」、つまり自分の主観、感受性というものをまず理解すること、そして高度にしていくことが前提になるというところに焦点を当ててみてください。 

「自分を知ること」から始まるユング心理学心理療法を行う(人の心を扱う)ためには、自分自身を知っていないと話にならない

 そうして河合氏は、当時日本にはいなかった「臨床心理」の指導者を求めてアメリカに渡り、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のクロッパー教授に学ぶことになりました。そのクロッパーが基にしていたのがユング心理学です。

 河合氏が当時読んだユング心理療法(分析心理学)についての本には、「臨床家になるためには、自分自身を知っていないと話にならない。だから、自分自身が分析を受けるということが絶対条件である」とあったとのことです(科学的方法を行う人、例えば西洋医学の医師には求められないことで、深層心理学による臨床家には必須)。

 河合氏は「「その通りだ」と思ったけど、反面、恐ろしいなとも思いました。でも、これをやらずに臨床心理学をやるのはおかしいんじゃないかという気持ち」でクロッパーの一番弟子であるシュピーゲルマンに分析を受けることになったとのことです。

 右に述べられている本という意味ではないのですが、『ユング自伝 思い出・夢・思想1』(みすず書房 河合隼雄他訳)というユングの回想録には、「自分は正常で何の問題もない」と思っている医師が心理療法家になりたいとユングを訪ねてきた時、ユングは次のように語ったとあります。

精神医学的活動

「あなたはそれがどういうことかご存知ですか。それはまずあなたが自分自身を知ることを学ばねばならないことを意味しています。

 もしあなたが正しくないとすれば、どうしてあなたは患者を正しくすることができますか。もしあなたが確信していないとすれば、どうして彼を確信させることができますか。

 あなた自身がほんとうの材料にならねばなりません。もしそうしないのなら、かわいそうに!…あなたは患者を迷わせるでしょう。それゆえあなたはまず自分自身の分析を受け入れなければならないのです。」

 (仕事も私生活もすべて正常だと思い込んでいたこの医師は、教育分析の過程で潜在的精神病者であることが分かった。)

 これは、野口整体の指導者の中でも、潜在意識や心理療法に強く関心を持ってきた私には、全く共感できることです。私は「自分を知った分だけ、人が解る」と思ってきましたから、この「相手の人間を知るためには、自分(の潜在意識)を知っている必要がある」というところから、ユング心理学河合隼雄学)に対する関心を深めて行きました。

 第一章一1に書きましたが、野口整体の指導では、背骨の観察を通じて、被指導者の「生きてきた歴史」を汲み取り、その人に向き合います。

 そして、相手の身体やその感受性傾向を捉える上で、「体癖」を理解するということがあります。この体癖を理解する上では、自分の体癖を理解することが基本となるのです。

 体癖を知ってみますと、体癖により「無意識的な感受性がこれほどに違うものか」と分かってくるのですが、相手を知る上で、まず「自分(の体癖)を知る」ことが始まりとなります(「体癖論」の内容は下巻に詳述)。

 科学である西洋医学を学ぶ上では、このように「自分を知る」ことは問題にされません。しかし、「人間を知る、自分自身を知る」こと無くして、人間に触れることはできないのです。河合氏の臨床心理においては、特に深く人の心に触れるのですから、自分の心についても深い理解が無くては「臨床心理」はできません(潜在意識間の交流が肝要)。

「身心」を対象とする野口整体の個人指導においては、体を整えることの目的は「心のはたらき」にありますから、指導者が「自分の心を知ること」が大事なのです。

 自分自身の心に触れること無くしては、相手の体に触れることはできても、心に触れることはできません。

「分析を受ける(自分だけでは降りていけない、心の深い層に降りて行く援助を受ける)」ことを通じて、自分の内側を知ることです。また、瞑想をすることで「自分の内側から自己を知る」という、これが本書副題の「瞑想法と心理療法」の意味です。

 そして、先のユングの文章にある「患者を正しくする」ことについて、私は被指導者を「あるべき姿」に導くため、被指導者の現状を認識し、判断する「感覚」を磨くことに専念してきました。これは自分の内に確かな「ものさし」を創ることです。さらに整体指導者として、被指導者の心を映し出す鏡になれるよう、「無心」を鍛錬してきました。