野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第三章 自分を知ることから始まるユング心理学と野口整体 三1

三 自身の心を啓く道筋が他者の心を啓く道筋となる― モノを知る科学的方法とは違う「人間を知る」こと

自分を「のり超えた力」が相手の潜在意識を理解し導く力となる

― 師が「自分の心を観る」ことから始まった「病気は心の訴えである」という思想

 師野口晴哉は、整体指導者は自らの心と体を耕し使いこなした分だけ、相手をして「そのようにせしむる」ことができると教えています。それは、心の世界では「自他一如」だからです。

 このように、かつて不自由だった人が超えてきた「道」を通して、次の人にこれを示すことができるというものです。

「心を耕す」というのは、宗教一般において言われることですが、野口整体では、「自らの身体を開墾する」ことにその特質があります。これは「心と体は一つ」だからです(身心一元論)。「身心」の弾力を重要視する野口整体では、弾力を取り戻すことで、自発性の回復(主体性を取り戻す)を図るのです。

 フロイトユングが「自らを理解した」ことを通じて「人の心を理解できた」と同様、野口整体の世界では「自分の身心を使いこなす」ことを通じて「人の身心を耕す」ことをしているのです。

 師は「自分の心を観る」ことについて、潜在意識教育法講座(1974年1月)で、次のように語っています(月刊全生)。 

自分との対話 3

…なぜ自分を主張するのだろうか。自分を主張していないと消えてしまいそうで不安なのです。自分の生きていることに自信が持てないのです。…体の中で注意を集める要求があり、その要求が充たされないと不安になり、注意を集めるための行動を起こします。その注意の要求を充たすためには、怪我をすることや病気をするということが大変便利な方法なのです。

…私も子供の頃は弱い方で、よく病気をしました。しかし病気になるのは卑怯だ、仮病はやめようと思いました。病気は自分でなろうと思えばいつでもなれる。痛いとか、痒いとか言っているうちに熱が出てくる。他の人たちは知らないから、熱が出てきたから病気だと思う。病気を必要とする自分の心を観ていますと、仮病が分かるのです。そこで仮病はやめたのです。…人間は仮病という大変便利なものを発明していたのです。しかし、その病気のために大勢の人がこき使われ、無駄な薬を飲み、無駄な時間を使っているのです。

…血でも、熱でも、糖分でも、脈の乱れでも、みんな同じようなものなのです。自分で人の注意を引く力のないこと、自分の腰が抜けていること、一人前に歩けないことを知っているのです。知っているから、不安になってきて、そういう主張をするのです。そこで私はいろいろの病気をその主張と観て、それと対話するのです。

…対話の問題を解決するのは、相手を観るということから始めなくてはならない。それには自分と対話して、自分の本当の欲求、いま本当に欲しているもの、得ようとしている処のものをまず明確にしていくことです。

 

  これが師野口晴哉の、整体指導者への道を歩む者に対する「自分を知ることから始まる」の意です。

 師は自らを鍛えるため、「自彊(じきょう)不息(ふそく)(自らを強くして息(やす)まず)」と自書した額を道場に掲げていました。

 野口整体の指導に携わり、相手の〔身体〕を考えるということは、この〔身体〕が、力を出す上で、「どうあれば良いのか」ということを考えていくのですが、その時、自分の経験が基になるのです。

 自身を知り、潜在意識(身体)を開墾することで、それまでの自分をのり超えていく。こうして開墾した自分を通して相手と向き合うのです。