第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 二1
二は、金井先生の個人指導をユング心理学の視点から考えるという内容で、偏り疲労の中に圧縮されている情動エネルギーから、心の問題として考えられがちなコンプレックスを観察すること、そしてそれにはどのような意味があるかが主題です。
特に自我と意識という点から個人指導を考えるというのは、金井先生の心療整体ならではだと思います。
それでは内容に入っていきましょう。
二 ユング心理学の視点から観る金井流心療整体
野口整体の「整体」とは、主体性を発揮する身心
― 偏り疲労が「感受性の歪み」を作る
野口整体では、身体の歪みを「偏り疲労」と言い、この偏りを眼で観、手で触れて観察することに重点をおいています。
そして、偏りは必ずというほど、何らかの「情動」に因っており、それは「感情の動き」が身体上に偏りを起こすというものです(金井流ではこのような観方を主とする)。
過去に抑圧された感情の多くは、本人の意識では忘れているもので、これが「主体性発揮を損なう」要因となるのです。
怒りや不安を感じその感情を抑えてしまうと、潜在意識化して固まってしまい出て行かなくなるのです。固まっているだけならよいのですが、その固まりがあると、「感ずること」、「考えること」、また体の動作に至るまで、その支配を受けてしまうのです(=抑圧された意識下の感情は、身体(潜在意識)に潜んで、絶え間なく頭(現在意識)を刺激し動かしている)。
固まったことによって支配を受け「感ずることに歪みが生ずる(註)」ことを、野口整体では「感受性の歪み」と表現し、これを修正する整体指導とは「感受性を高度ならしむる」ことを目的とするものです。
(註)感ずることに歪みが生ずる とは、「カッチン」と怒りを感じ、これが内向したことで「やたら食い」となることも、食に対する「感じ方の歪み」である。
それで、感受性の歪みを作っているもの(怒りや不安、悲しみや恐怖、吃驚などの陰性感情による情動)が観察の対象となるのです。
私がこのように表現できるのは、指導で、この抑圧された感情エネルギーが流れると、無心となり明瞭な意識が戻ってくるからです(整体とは、意識が明瞭な状態)。
そのため、個人指導では背骨を通じて、このような状態を把握する「観察」が重要となります。
師野口晴哉は、体が整うことを次のように述べています(晴風抄『月刊全生』増刊号)。
体調の整った日は、何事も快い。
ゴルフをやっても疲れない、
仕事の調子も具合よく進められ、
人に会ってもすらすら運ぶ。
働いても疲れず、眠っても深く、覚めても快い、
これが乱れれば、目前の山紫水明も目に入らず、
快い筈の音楽までが鬱陶しい。
「働いても疲れず、眠っても深く、覚めても快い」とは、「エネルギーの集注と分散」(身心の緊張と弛緩)の均衡が取れている状態で、野口整体で言う「整体」の理想的な姿です。
これは意識が明瞭であり、自身の持てる力が十全に発揮される、主体的に「自己把持」していることを意味します。
「感受性が高度」とはこのような状態であり、ここを目指し、身心を調えるのが個人指導です。
ここまで述べて来たように、個人指導で観察される偏りは、主体性を損なう「感情の滞り」を意味しており、ユング心理学ではこれを「コンプレックス」と表現しています。