第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 二2
心の生活を振り返る時間としての整体指導
― 情動(陰性感情)の観察で得た「まぁんじゅう理論」
私は、整体指導を行うようになった初期には、相手の身体に比較的大きな変化(歪み・偏り疲労)を観察することから、やがて小さな変化までを捉える観察眼を発達させてきました。
「これは調整されるべきもの」という状態を見出すと、「どんなことがあったの」などと尋ねます。そして、その人が生活を振り返って、「情動」につながることを思い起こすことを通じて、その内容を受け取るという対話をしてきました。
不満(まん)や怒りを内在させたままだと、後に不安(あん)に支配されるようになるのです。「ふまん」が「ふあん」に化けるから、これを、私は「まぁんじゅう理論」と、興(おもむ)きを与え名付けました。長年の観察を通じて得た理論ですが、次のように(合理的な)説明を付すことができると思います。
「怒りは肝を害す」とは、漢方医学でよく知られたところです。そして、からだ言葉には「肝っ玉が大きい」、また「胆力がある」という言葉があります。これらは、恐怖を感じずに大胆に(思い切りよく)行うことができる様、つまり心が闊達であることを意味します。
肝っ玉と胆力に、肝(かん)(臓)と胆(たん)(嚢)という文字が入っており、肝臓・胆嚢は生理学的に一組みのものです。漢方では肝臓と胆嚢が心のはたらきをするところと考えられて来ましたが、私も肝臓や胆嚢(また膵臓も(これらを肝臓群と名付ける))が元気であることと、心が闊達であることは一つのことであろうと考えています。
このような伝統智と生理学から、不満や怒りが内で発酵・腐敗すると、不安に駆られるようになることが、論理的にお分かり頂けるのではないかと思います(このことに信が持てるには体験を通じること)。
何らかの負の感情体験を観察し、「何か嫌なことはなかったですか」と問うと、多くの場合「そういえば、こんなことがありました」と、思い出します。そのことが体に障っているのです(真の原因が、すぐに本人の意識に上るとは限らない)。
もちろん、正の感情体験(快情動)も表れています。
そういった「心のやり取り」を通して、波立っていたその時(情動が起きた時)の自分の心に気づき、振り返ることができるのです(自分だけでこれをきちんと行うことは難しい)。
それは、今の体のありようの原因(因果関係)を、最近の生活における「情動」に結びつけること(意識化)だけが目的ではなく、自分の心のはたらき方(感受性・心の窓)を知る、それは「自身を知ること(自己知)」に意味があると考えてのことです。
(金井流個人指導「他力と自力が一つになって自己を知る」。こうして、自己知とともに、やがて主体的自己把持へと進む)
このように野口整体(金井流)では、精神および身体の不調をもたらしているのは「情動による偏り疲労」であると、多くの場合言うことができ、そして、これは停滞した感情エネルギーなのです。
先ずは、この負のエネルギーを意識化することで停滞の解消を図るのが、個人指導における臨床心理です。