第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 二 8①
自我の再構成を自然(じねん)に促す心療整体
① 自我の再構成
河合隼雄氏は「自我の再構成」について、次のように述べています(『母性社会日本の病理』日本人の自我構造)。
…青年期になると、自我は今まで自分の受けいれてきた規範を根底から疑ってみ、もう一度、自分の内界から湧きあがってくる傾向によって、その自我を再構成しようとする。
…それは今までのように、他から与えられたものを無批判に受けとるのではなく、自分自身の欲求やあり方と照合し、自らのものとして新たに受けとめ直したものである。
このようにして、自我ができあがってくる過程をきわめて大まかに示したのであるが、ここで大切なことは、自我はその形成過程において、それを取りまく文化や社会の影響を受けるということと、自我はあくまで完結していない常に変化の可能性をもった存在であるということである。
私が提唱する「自我の再構成」とは、「整体である」ために必要な自我となることで、それは生命を全うするためです。全うするとは「自己実現」であり、このため「自己のはたらき」を自覚することです。それは、活元運動という瞑想法を通じ、意識が内に向かうことで、感情・要求に敏感になることです。
「自我」とは、生まれてから徐々に発達する、外界を捉え外界に向かうための働きですから、この発達によって人や社会と関わることができるのです。一方、この自我のはたらきが「内界に向かう」ことによって、「自我の再構成」を行なうことができるのです。
自我の再構成は真の「自己」となるために繰り返されるものですが、そのためには「自我を強化」していくことが必要です。
「自我(のはたらき)が弱い」と「コンプレックス」に飲み込まれてしまうからです。
また、成育途上で(成育環境において)生じた「感情の未発達(感受性の歪み)」によって物事を捉えていると、他者との真の(深い)信頼関係が築けず、自身に具わる「潜在力」も十分に発揮できません。
そこで、どのような潜在意識が自身に形成されているかを、分析的に捉えていく必要があります。しかし、これは自分一人ではできないのです。俯瞰的、また客観的に観る他者の眼が必要となります(これが臨床心理の必要性)。
私が個人指導で、相手の「心のはたらき」を考えるに〔身体〕を観ることは、相手自身には意識できない(=言語化できない)、潜在意識や「体癖的感受性(巻末参照)」を知ることができます。
このような指導を重ねることで、「内界を認知する主体」としての自我が発達し、自身の感受性を自覚していくことができるのです。
こうして、自分について考える自我意識が養われ(=自分を客観視でき)、自身の心が深まり、「自我の再構成」へと進むことができるのです。