第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 1③
二つの時間・クロノスとカイロス― 一刻一刻を、全力を以って生きる
③東洋の気の生命観とカイロス
湯浅泰雄氏はクロノスとカイロスについて、次のように述べています(『宗教と科学の間』)。
3 時の動きの内にはたらくもの
…カイロスとは要するに、「時は熟した…」とか「運命の時」とか、歴史の大きな展開の時といった意味をあらわす言葉である。人間は、個人であれ集団であれ、生きてゆく過程でそのような運命の曲がり角に見舞われることがあるものである。『易経』(古代中国思想の原典)の時間観念は、そういう意味のカイロスの「時」を基本にしている。占うということは、歴史と人生におけるカイロスの「時」を知ることである。
クロノスの時間は、物質の状態変化を観察することによって測られる。太陽の位置が朝と夕方でどれだけ変ったか、時計の針の示す位置がさっきとどれだけ変ったか、ということを見て、われわれは時間の感覚を量的に認識する(=空間化された時間)。
…これに対してカイロスの「時」は、いわば生命体の成長の過程で訪れる生の変容の時機としての時間帯を意味する。それは本来質的な時間なので、単なる等質的な量として表現することはできない。
言いかえれば、カイロスの「時」は外部からの観察だけではわからない心理的体験の時間である。それを知るには、時間の中に――したがって客観的な出来事の中に――生命体としての人間的主体をもちこまなくてはならない。
湯浅氏は同著(一章)で、「近代西洋が冒した大きな過ちは、すべての物事を原因と結果の関係(因果性)からのみ考え、歴史とその未来にのみ価値をおくようになったところにある。」、また「晩年のユングが共時性の問題を中心にして、東洋と西洋の出会いの中から次の時代の思想の動きが始まる、と予想していた」と、ユングの考えを述べています。
東洋的な考え方(気の思想)では、万物は「気」を受け入れる器であり(道と器、そして気)、すべての生命体は「気」のはたらきによって誕生し、時間とともに成長し、成熟し、やがて衰退し、死に至ると捉えます。
この過程としての時間は、たえずその性質が変化してゆく質的時間であって、単に数量的で均質的な物理的時間(クロノス)ではないのです。また、単に心理的時間であるばかりでなく、生命的時間(寿命)という性質をも持っているのです。
もちろん人間の一生も、生まれてから死を迎えるという生命が変化していく(成熟に向かうという生命活動に伴っての)質的な時間の流れであると捉えます。
このように、「道」に遵い、成熟・変化という方向に向かおうとする、内なる「気」の流れが、心理的時間・内的な時間(主観的時間・カイロス)なのです。
ユングは、1920年代に北アフリカを旅した際に、キリスト教がヨーロッパに浸透していった中世から、科学文明が興った近代にかけて、クロノスがヨーロッパ人を支配するようになったことについて、次のように述べています(『ユング自伝Ⅰ』)。
ⅰ 北アフリカ
…時計がヨーロッパ人に告げていることは、いわゆる中世以来、時間とその同義語である進歩がヨーロッパ人に忍びよって、ヨーロッパ人から取返すことのできないものを奪い去ったということである。軽くした荷物をもって、ヨーロッパ人はますます加速度を早めながらはっきりしない目標へ向かって彷徨の旅を続けている。重心の喪失と、それに相応して生じた不完全感をヨーロッパ人は、たとえば蒸気船、鉄道、飛行機、ロケットのような、彼らの勝利の幻想によって補なった。
日本においても、近代西洋文明の発達とともに失われた大切なものの一つは、カイロスの時間であったのです。