野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 2

正心正体で充実した時間を生きる― 全生とは一刻一刻を、全力を以って生きること 

 カイロスは、意識的に管理したりすることのできない時間です。産科の医師が「土日は休みだから、お産を金曜日に済ませる」というように、「人間の誕生」までをクロノス時間によって管理するのが現代です。これは、生命時間を無視することに対する倫理観が全く働かないという、機械的な現代人のあり方を意味します。

 いつ訪れるか分からない時を待つこと、見極め捉えること、それがカイロスという時間を生きることなのです。クロノスが意識で決めた時間であるのに対し、カイロスは無意識が捉える時間だと言うことができます。

 

 整体(個人)指導を業(行)とする私にとって問題となるのは、被指導者(クライアント)の、心(潜在意識)の時間(カイロス)が止まっていることです。

 個人指導で対象となる「偏り疲労(一で詳述)」とは、現在の身体において「過去の時間が働いている」ことなのです。心(意識)が現在の時間に調和し、未来に向かって生きている(前向き)か、現在の時間にきちんと向き合えず、心が過去に向いたまま(後ろ向き)かは、大きな相違です(意識は潜在意識の支配を受ける)。

 こうした、現在の時間とのズレを起こしているのが、ある時発生した情動で、身体上でその時の感情が持続しているのです。

(これが、体の凝りや痛みであり、意識の上では雑念となる)

 感情が持続しているとは、意識が「現在の中にある過去に引っ張られている(=過去に拘って現在を生きている)」ことです(現代に多い「うつ症状」の人は、内の時間・カイロスが止まっている)。

 このような「心理的時間」について、湯浅泰雄氏は次のように述べています(『宗教経験と身体』)。

 「現在」と心身の連動過程

…心理学の立場から考えると、過去と未来は意識と無意識の関係を示している。過去とは、現在の経験が意識から無意識へと送り込まれ、記憶として保存されている状態である。フロイトが明らかにしたのはこのことである。

 これに対して未来とは、無意識から意識へと表面化してくる心のはたらき(空想、期待、予測など)である。ユングはこれを重視している。…心理的時間では…、意識―無意識の関係が示しているように、現在の中に過去と未来とがたたみ込まれているのである。 

 過去と未来は意識の底にある無意識の中に潜在しているというわけです。過去とは、記 憶の中から回想され心において再現されるもので、未来とは、心において予想され想像されるものです。過去―現在―未来と流れる時間は、もともと心が記憶や想像を用いて感じるものだからです。

 また現在とは、意識が身体と結びついている時の状態であり、そして、身体の感覚(視・聴・嗅・味・触覚)器官だけでは、現在しか知ることができないのです(補足を参照)。

 また、五感というものは、現在の状況を知覚・認識するための機能ですが、明瞭な意識(正心正体)の下で五感が確かにはたらいていなければ、現在をもきちんと捉えることはできないのです(「心ここにあらず」ということがある)。

 意識(心)と身体の結びつきが悪い状態では、禅が求める「今、ここ!」という境地にはなりません。意識と身体の結びつきが良いとは「心身一如」の状態のことを意味します。

 正心正体によって現在を確固と捉えることで、「今、ここ!」という無心の境地に至ることができます。

(「今が変われば過去も変わる!」と表現したことと同意)

 このように自分の意識が能動的だと、同じ時間によって得られる充実感が大きなものとなるのです。この繰り返し、つまり日々を主体的に生きていくことで、自身の人生の意味を見出し、価値を創造することができるというものです。

(小宇宙としての人間は大宇宙の働きと調和して生きるところに、その本来の姿がある。これが古代中国以来の「道(タオ)」である。)

 整体とは、「良い空想ができる身心」であり、それは現在に、未来への心(空想や期待)がはたらいている身体なのです。

 全力(集注力)を発揮し現在を生きる上で、私が感情の滞りに着目する理由はここにあります。また、ユングが説いた「コンプレックス(=自我の主体性をおびやかすもの)」は、私にとって、このことに関わります。こうして、現在の時間を十全に(「今、ここ!」を)生きることを目指すのは、良き未来を創造するためなのです。

 瞬間瞬間を全力で生き、人生の時間・カイロスの質を高める生き方を説いたのが、師野口晴哉の全生思想です。

(補)

 身体を心から切り離して考えてみるとすれば(=感覚器官の働きのみでは)、目でも耳でも鼻でも身体に具わった五つの感覚は、各器官が外界からの物理的刺戟(光・音・匂いなど)を受容した瞬間に起る作用で、それらは身体の周囲にある空間的事物(外界)の状態を、現在において認知する能力なのである。

 これが感覚器官だけでは、現在しか知ることができない=過去や未来を認識することはできない、ということ。本来、身体の器官というものは、現在という空間の状態を知るためにあって、時間を知るようにはできていない。

人間が過去と未来を知るのは心のはたらきによる。