野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 7

自己知と自己教育の重要性―自我から自己への中心の移動-

  無意識の目的論的なはたらきを理解していく過程上で、ユングが特に着目したのは、心の自然治癒力とも言える「無意識の補償(足りないものを補う)作用」です。

補償作用とは、その人が生きていく上で、意識のあり方の一面性がゆえ(=意識が一面的に偏っていることが原因で)、行き詰っていることに対して、これを打開するべく無意識がはたらくことです(病症もその一つの表れ)。

 やがてユングは、これを人間にもともと備わっている、より良く生きようとするはたらき「生命の合目的性」として提唱するようになりました。この考えを最も端的に示すのが、彼による「自己(Self)」という概念で、意識・無意識を合わせた心全体の中心に位置付けたのです。

 河合隼雄氏は『心理療法序説』(岩波書店)の中で次のように述べています。 

 3 自我と自己

…西洋の近代においては「自我」の確立が大きいテーマになった。他と区別された自我が屹立し(揺るぎなく)、自立する。このような自立的な自我が自分の責任において決定し行為するのをよしとする。

このような考えの背後には、人間が合理的に考えて行動してゆくとき、すべてのことを律しうるという確信があった(理性への過信)。そして、自我の使用する武器として自然科学を手に入れたとき、その確信はますます強くなった。

そのようなときに、ユングは早くから、自我を人間の心の中心とすることに反対していた。自我は無意識によって動かされる。しかし、二重人格の特性などによく表されるように、無意識は自我の在り方を補償し、常に全体性を保持しようとするようなはたらきを示している。

従って、人間の意識のみならず無意識をも含めての全体性ということを考える必要がある、とユングは主張する。

 ユングはこのような事実を踏まえて、自我(ego)が意識の中心であるのに対して、自己(Self)は人間の心の意識も無意識も全体を含んだものの中心である、と考えた。彼はこれを「自己は心の全体性であり、また同時にその中心である。

これは自我と一致するものでなく、大きい円が小さい円を含むように、自我を包含する」と述べている。このように、自己は無意識内に存在するものだから、あくまでそれを直接に認識できないのであるが、そのはたらきを人間は意識することができる。

…自我から自己への中心の移動ということは、実にドラスティック(思い切ったさま)なことであり、ユングは、自我の確立を人生の前半になして後に、人生の後半において自己の認識が行なわれる、と考えていた。

自己より発してくる心的内容は、自我の在り方を補償するような傾向があり、それはむしろ自我によっては簡単に受けいれ難いものであることが多い。そこで、自我と自己との対決や共同作業を通じて自己実現の過程がすすむことになる…。

  「自我」から「自己」へ、というのは限りない人間完成への道ですが、「自己」へと歩を進めるのが、「自我の再構成」です。

 ユングの言う意味における「自己」を実現するには、三十代までに「自我」を一定の強さにする必要があると思います。

 それは、三十代前半には、二十代までの人生とは違う、四十前後からの人生の道筋(自己に向かう真の「個性化」)をつけることが求められますが、「自我」が弱いという場合、意識が理性的にはたらかず、自分の無意識を客観的に捉えることができない(内界を認知するはたらきが弱い)からです。

 理性的な意識・自我が自己にはたらきかけたのが西洋の「深層心理学」なのだと考えます。こういう点が西洋の長所だと思います。

「自我から自己への中心の移動」は、整体的に表現すれば、「頭から腰へと重心が移動(気が下がる)」ということになります。

 今、自分の身の回りに起きていること(そうだと受け取っていること)が自身の反映としてあるのですから、これを敏感に受け取ることから、自身の感受性が生い立ちと体癖によって、現在にまでどのようであるかを知ることが分析です。

 分析に知識(言葉)も必要ですが、自身のありようを考えていく思考力は自我意識によるもので、各人においてコンプレックスを研究することが必要です。成長とは、「本来の自己のはたらき」を発揮するための「自我の再構成」により、自身とその感受性がどのようになっていくかなのです。

 臨床心理学における、このような作業は依頼者に先立ち、療法家が行うものですが、このことと同様、野口整体の指導者においては、「自己」へと向かう自我の再構成と、心のみならず自分の身体について、鍛練することが重要です。

 これに到達するには、「心でも体でも、異常を異常と感ずれば治るのです。」という師野口晴哉の言葉がありますが、身体行に加えて、深層心理学における「分析」という行為は、「身体」の持つこのようなはたらきを助けるものだと思います。