野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 補足2

補足2①ユングフロイトの相違

現在、精神身体現象として知られる情動とその身体(生理学)的変化が、「フロイトの抑圧理論とコンプレックスの存在を立証する(註)手がかりになる」ことを、最初に認識したのがユングです。

(註)ユングは言語連想実験で言葉の刺激に対する情動反応(時間・脈拍・呼吸・皮膚)― コンプレックスにつながる言葉により( )内容に変化が生ずる ― を測定した。こうして、無意識の存在と、その内に存在するコンプレックスが心身を支配することを科学的に立証した。

ちなみに意識的に感情的なこだわりを隠している時の反応と、意識していない時の情動的な反応には違いがある。例えば犯罪者が検査を受けて、隠している罪を連想させる単語を聞いた時は、息を吸い込んでから答える。しかしコンプレックスが意識できていない状態では、コンプレックスを刺激する言葉を聞いた時、無意識に緊張して息が詰まる傾向がある(皮膚の変化には差異がより明瞭に表れる)。

 

こうしてユングは、アカデミズムに受け入れられなかったフロイト学説の支持者になったのですが、後に決別することになります。

フロイトは自我と本能的な欲求との間で意識と無意識の関係を捉え、自我に抑圧された本能的欲求は身体に固着すると考えました。これは「意識が無意識を生んでいる」という発想です。

ユングは、無意識から意識が生まれるという前提に立って心の全体性を捉え、人格の基盤をなすものは自我ではなく情動性(心情の能力の発達と情緒の安定性)であると考えました。

脳が人間の心の全てであるという前提を、早くに離れたユングは、情動を心と体が一体となった運動として着目し、心的生命活動であると観たのです。

②無意識の発達・成長を志向したユング

 ユング心理学では、意識の中心にあるものを「自我」とし、意識・無意識の統合中心にあるものを「自己」、としています。

 ユングは近代における人間の心について、

「科学的合理主義の時代において心とは一体どのようなものであったろうか。心は意識と同一化してしまったのである。心は自我(わたし)の知っているものとなった。心はもはや、自我(わたし)以外のどこにも存在しなくなった。」

と述べています(『心理学と錬金術Ⅱ』)。

 これは、近代以後の西洋においては、理性意識の発達による「自我の確立」が良しとされ、意識が理性に偏って発達することの問題を指摘したものです。

 近・現代の人間は理性以外の心のはたらきが分からなくなり、ここにユングは、無意識のはたらきの象徴として「自己」を説いたのです。

 河合隼雄氏はユングが81歳で著した『自伝』の言葉を引き、ユングの生涯と彼の心理学について次のように述べています(『ユングの生涯』)。 

ユングの生涯

ユングの心理学を理解するためには、その人はそれ相応の「経験」をもたねばならない。単なる知識を獲得するだけの態度では、ユングを理解することは難しい、と言わねばならない。彼の心理学は「生きる」ことと密接に結びついている。

「私の一生は、無意識の自己実現の物語である。無意識の中にあるものはすべて、外界へ向かって現れることを欲しており、人格もまた、その無意識的状況から発達し、自らを全体として体験することを望んでいる。」

と、彼は『自伝』の冒頭に記している。「無意識の自己実現」としての彼の一生について語ることは、彼の確立した無意識の心理学について語ることになる。 

  ユングの「無意識の心理学」の無意識とは、「無意識には、人間の生き方に対して適切な態度をとるように教える働き(自我の一面性に対する補償作用)が備わっている」というものです。

 このような思想は彼自身の生き方から導き出されました。ユングは「魂の声」に順って生きたのだと、私は思います。