第五章 野口整体と心身医学の共通点 二2①
①東西の医学の出会い― 西洋思想「心身二元論」の壁
池見氏は1977年9月、京都国際会議場で第四回国際心身医学会が開かれた際、組織委員長を務めました。
氏は、当時の学会会長であるアメリカのライサー氏(エール大学教授)の開会講演「東西の医学の出会いの場としての心身医学」の結びを、次のように記しています(『セルフ・コントロールと禅』)。
2 医学は東洋に帰れ
「心身医学では、心身一体ということが強調されるが、実は、米国の医師たちは、この考えには、抵抗を覚えるというのが本音である。デカルト流の心身二分論(註)は、スピリット(魂)は、体から離れたものであるとする宗教的な伝統と関連しており、これは『不死でありたい』という、われわれのひそかな願望を支持するものである。したがって、心身一体の考えに徹することは、不死への望みを断ち切ることになる。東洋の医師たちには、心身一如の考えが、このような意味での脅威にならないとすれば、われわれは、東洋の友から多くを学ばねばならない」
(註)心身二分論 精神分析家フランツ・アレキサンダー(1891年生 ハンガリー)は、ベルリンで心身医学分野における研究で功績を上げた後、1930年、アメリカへ渡る。1932年、シカゴ精神分析研究所を設立し、初代所長を務めるなど、今日の心身医学の基礎を築いた。
1939年、慢性疾患の多くが日常生活の「ストレス」によるものであるとの画期的な見解を示した。これが「心身医学」という新しい学問に発展していったが、実際には、デカルト流の心身二元論が、心身医学の中に根強く残っていた。
アメリカ人にとって、心身一如の東洋的宗教観における「肉体の死」は、魂の消滅を意味するものであるようです。
このライサー会長講演直後の、池見氏(次期会長)の講演は、奇しくも、「東洋の友から学びたい」という呼びかけに応えるものとなっていました。
その講演にある「東洋の心身一如」の内容で、「心身二元論と心身医学の起こり」について、池見氏が述べた内容(『セルフ・コントロールと禅』)を要約すると次のようです。
デカルトの心身二元論を基盤として発展した西洋近代文明においては、精神は身体から切り離され、人間の体は動物の体、さらに機械のレベルにまで見下げられ、その結果、精神は概念的な神学の領域や超越的な神への信仰の中に閉じ込められ、精神と身体が相矛盾する生き方をせざるを得なくなった。
このような生活の基となった二元論は医学にも応用され、今日のような近代医学の目覚ましい進歩に貢献したが、不幸にして、動物や機械と区別ない人間の医学観を招くことになった。日本においても、明治以来導入されたこのような傾向の西洋医学は、伝統的な東洋医学に取って代わってしまった。
このような医学の歪みに対して、1940年頃、アメリカで心身医学が提唱されることになったが、その基本的な治療法は、デカルト流の二元論の領域に止まっており、理屈っぽい精神分析と機械的な肉体医学をつなぎ合わせたものであったため、治療効果には大いに制限があった。
(金井・当時のアメリカの心身医学における精神分析は、フロイト流の原因―結果の因果論に止まっていて、ユングが説いたような無意識に対する理解、思想がないことが考えられる。)